人文情報学シンポジウムのこと2008-01-06

2008/01/06 當山日出夫

もろさんのブログで、昨年の人文情報学シンポジウムについて言及してあった。

もろ式:読書日記 の1月3日

http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20080103/1199409015

http://coe21.zinbun.kyoto-u.ac.jp/ws-hi-2007.html.ja

参加者は、あまり多いとはいえないものであったが、中身は、非常に濃い研究会であった。

特に、個人的に印象に残っているのが、

野村英登さんの「チープな人文情報学の可能性について」

である。確認のため、野村さんの発表概要の紹介を引用しておくと、


古典中国学の領域におけるコンピュータ利用として大多数を占めるであろう、コンピュータやデータベースを工具書のような便利な道具としてのみ研究に利用する立場は、時に方法論的な省察を欠いた安易な取り組みとして、人文情報学に深くコミットする立場から批判される場合もないではない。しかしここでは、むしろ現状を道具としての利用がいまだ不徹底な状態として肯定的に考え、安易さをより徹底することで実現されるであろう、「チープな人文情報学」の可能性を検討してみたい。


このシンポジウムのときに野村さんが述べたことを私なりに理解した範囲で整理すると……インターネットにおける「読書人」ということになるだろうか。「読書人」という言い方、東洋学関係では時々つかうことばである。単に読書をする人という意味よりも、むしろ、「知識人」という現代の言い方に近いかもしれない。その活動の場を提供してくれるものが、インターネットの世界。様々な工具書(ツール)もあるが、その一方で、HPやWiki、ブログ、という、情報発信、相互のコミュニケーションの道も拓けつつある。

野村さん自身「チープ」な、という言い方をしている。パソコンで、個人的に、という意味において、だと思う。しかし、その内実、研究者の生き方という意味では、むしろ「ディープ」な、と言ったほうがいいかもしれない。

知識の蓄積、伝達、教育、それらを担う人々の相互のコミュニケーション、これらが総合して、伝統的な東洋古典学の世界があった。そして、それを、継承することを可能にするものとして、今後の、インターネットの世界に期待を表明している。私には、そのように理解できた。

また、私がこのブログで考えていきたいと思っているのは、学知の総合的な関係性とデジタルについて、である。単に、巨大なデジタルアーカイブができて、検索が便利にった……というだけのレベルにはとどまりたくない。

當山日出夫(とうやまひでお)

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