開国なのだと思う ― 2008-01-08
2008/01/08 當山日出夫
山道を登りながら考えた……ではなく、京都からの帰りの自動車の運転の途中で考えた。インターネットに向けて、開国しなければならないのだ、と。
立命館のGCOE、別に関係しているから自画自賛するわけではないが、(また、いろいろと経緯のあってのことであるが)、火曜セミナーをブログで公開していることは、すばらしいことだと思う。単に研究会のプログラムを案内しているだけではない。そこでの発表をめぐって、会場にいた人、いなかった人をふくめて、コメントを相互に交換している。そして、それが、オープンになっている。
このような研究プロジェクトは珍しいのではないか。
まだ、はじまったばかりであるし、個人的に不満に感じる点がないではない。特に、コメントが乏しかったりすると、残念に思う。だが、これも、試行錯誤の一つの過程であろう。
デジタル・ヒューマニティーズという、新しい「知」の形成のプロセスが、インターネット空間にオープンになっている。結果として、どのような研究成果を出すかも重要だが、それよりも、そのプロセスをオープンにしているということが、きわめて重要である。あるいは、こちらの方が、より本質的な部分かもしれない。
私自身、このブログで、批判的なことも書いている。しかし、それは、インターネットの世界で、つながっている。つながっているからこそ、苦言も書く。関係者の多くが、ブログやHPを作って、相互に、網の目がひろがっていくことに期待したい。
今は、まだ、たまたま、私が作ってしまった……という状態かもしれない。だが、これ(このブログ)も、今後、関係する多くの人たちのネットワークのなかに埋もれていってしまうだろう、私自身、そうなることを切に望んでいる。
GCOEの火曜セミナーも、来週から、新しい年がスタートする。そのセミナーで発表することだけではなく、そこに話しを聞きにいくことだけでも、また、後で、ブログの書き込みに参加することだけでも、それは、オープンな知の形成の世界に関与することにつながる。その、当事者として、そこに参画する。
今日は、こんなふうに考えてみた。
當山日出夫(とうやまひでお)
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