研究会をいろんな立場から見ることの意味2008-01-09

2008/01/09 當山日出夫

実に様々な学会・研究会・セミナー・シンポジウム・ワークショップ……がある。メーリングリストで流れてくるものもあるし、また、ARGのイベント案内で知ることもある。(最近では、京大のGCOEのフィールド情報学、行きたいけど、授業日で行けない。残念だ。)

研究会をやりますという案内・プログラムは分かる。概要が記されていることもある。これら全部に出席するのは無理であるにしても、どんな研究会が行われているのか、何が研究テーマになっているのか、その全体としての方向を知るうえで、インターネット上の各種の情報源は、きわめて貴重である。

「じんもんこん2007」について、勝手な個人的感想を書いてみた。このブログに書いたのは、あくまでも、私個人の感想にすぎない。評価したいと思う発表もあれば、そうではないものもある。

研究会である以上、たしかに、研究のレベルが問題ではある。しかし、それだけではないと思う。特に、「じんもんこん」シンポジウムのように、文系・理系いりみだれての研究会(シンポジウム)であれば、それを、見る・聞く人の立場や専門、考え方によって、いろんな受け止め方がある。

研究会は、研究成果を発表する場である。そして、それが、業績になる、これは、これでよい。

だが、それに加えて、参加した人が、どのような感想をいだいたかでもよいから、コメントを加えて、相互につながっていくとしたら、その研究会の知的価値は、倍増するのではないだろうか。通常の業績となる評価とはまた違った意味で、知的な活動の価値が増大する。そして、それが、刺激になって、次の研究活動の契機なる。このようなエネルギーを持っているのが、知的なネットワークの世界の可能性だろう。

批判的な意見があれば書く。しかし、間違っていれば謝る。書いたことには責任を持つ。否定的なことを書いても、批判するためだけに終わるのではなく、次のステップへのきっかけになる……そういう方向性を、基本的姿勢として持っているかどうか、これが重要だと思う。

オープンな知の世界を肯定的にとらえてチャレンジしていくこと、この基本さえ持っていれば、たとえ、一時、批判的な応酬があったとしても、やがては、さらなる高みへと、止揚していくことになろう。(止揚などという言葉、ちょっと古いかな。)

2008年になって、学校もはじまった。今年は、「じんもんこん2008」をはじめとして、たくさんの研究会・学会などがある。発表するだけでおわらず、参加した人たちの、小さなコメントの集積が、これからの知の世界を、ゆたかなものにしていくのだと確信したい。

當山日出夫(とうやまひでお)

『理科系の作文技術』2008-01-09

2008/01/09 當山日出夫

超有名な本である。いまさら、この本の内容について、私などが口をはさむことはない。

木下是雄(1981).『理科系の作文技術』.中央公論新社

ここで書いておきたいのは、この本といより、出版社の方。つまり、中央公論社(=現在の、中老公論新社)、についてである。もっと端的にいえば、その奥付の表記法について。

私は、この本、何冊か持っている。たとえば、

1.最初に出たときの初版本。たしか、大学院生のとき。書名に『理科系の……』とあるのが、とても新鮮であった記憶がある。(これは、いま、てもとにある。)

2.その後、書庫のなかの本を探すのが面倒なので、新しく買ったもの。

3.長男が大学生になった時に、買って渡したもの。このとき、『論文の教室』と『理科系の作文技術』を、新しくそのために買って渡した。一応、今は、人間科学専攻ということなので、多少は役にたっているかもしれない。(後期試験、単位おとすなよ……ひとりごと。)したがって、これは手元にない。

4.上記の3を買ったときに気づいた。「版」が新しくなっている。で、自分のために、最新の「版」を買った。

中公新書(中央公論新社)は、通常であれば、「第~版、第~刷」と、奥付に書くべきところを、すべて「版」にしている。例えば、2000年のものは、「43版」とある。通常は、「43刷」と書く。

これが、2006年のものになると、「53版」になっている。これが単なる「刷」の意味でならいい。しかし、この、2006年の本は、「改版」している。

216ページに、「改版のためのあとがき」として、著者(木下是雄)が、その経緯を書いている(日付は2001年)。活版から、オフセット印刷になっても、やはり酷使すると「版」はいたむもののようである。「改版」して、すこし書き改めた箇所がある旨、しるしてある。

立命館GCOEで、江戸時代の版木をデジタルで研究する方向に動いている。江戸時代の出版文化は、版木を軸に考えると、実に、面白い。私は、この研究には、とても期待している。

だが、今現在でも、『理科系の作文技術』のような、著名な本について、その書誌を正確に記載するとなると、複雑怪奇な現象に出会うことになる。

このブログをお読みの方には、『理科系の作文技術』(木下是雄)を、お持ちの方は多いであろうと、推測する。もっておいでの場合、奥付、あるいは、「改版のためのあとがき」があるかどうか……確認してみてほしい。学生は新しいのを見ていて、先生は古い本のまま、ということがある。

たまたま気づいたので記してみた。

當山日出夫(とうやまひでお)