CH77東洋大学(3)2008-01-30

2008/01/30 當山日出夫

2番目の発表は、京大の白須さんによる、

中国古典文献のための電子テキストの概念モデル

いつもながら、白須裕之さんの発表は、中身が充実している。今回の発表も、書物の電子化という場合、だれでもがなんとなく感じていることがらを、明確にモデルとして提示している。

書物には「論理構造」と「物理構造」がある。この当たり前ことが、きちんと説明するとなるときわめて難しい。それを、白須さんは、XMLとLMNLをもちいて、説明している。

工学的な立場、あるいは、人文学研究で実際に古典籍をあつかう立場からは、どのように実装するのか、という批判があるかもしれない。

しかし、CHあるいはDHという領域で考えることは、現実に可能であることの範囲にとどまってはいけない、と思う。もし、仮に、実装が無理であったとしても、ある文化的事象について、概念モデルを明確に提示することの意義は非常に大きい。いや、このような研究(ある意味で茫漠としてとらえどころがないかもしれないが)に対して、価値を見出すようにならなければならない。

この意味において、これまで、CH研究会などで、白須さんがはたしてきた研究の役割は、きわめて貴重である。ものごとを、きちんと論理的・構造的にとらえるという視点を提供してくれる、これも、人文学でコンピュータを使うことの意義の一つである。

ところで、このごろ気になっていること。「データベース」や「デジタルアーカイブ」という言葉を安易につかすぎてはいないだろうか。「デジタルアーカイブ」については、次のCH77の項目に書く。

GCOE火曜セミナーの発表で感じるのだが、(あくまでも私個人の感想としてであるが)、資料やデータが、エクセルのワークシートに入っているだけのものを、「データベース」とは言わない。資料のデジタル化ではあるかもしれないが、「データベース」と称するからには、そこに何らかの「構造」の視点がなければならない。

このあたりの感覚は、パソコンを使い始めた初期の段階において、ワープロ・表計算・データベース、というアプリケーションのセットであった時代を経験している人間が持っている、化石のようなものかもしれない。(これは、具体的には、マイクロソフトのオフィスのプロのバージョンのセットになる。アクセスをふくむセット。)

いまは、これが、ワープロ(ワード)・表計算(エクセル)と、プレゼンテーション(パワーポイント)の組み合わせに変わっている。

データベースソフトが、通常のパソコンのソフト市場から姿を消しつつある状況において、データの構造をとらえる視点(そのひとつが「リレーショナル」な構造)が、失われていっている、といえるのかもしれない。

當山日出夫(とうやまひでお)

CH77東洋大学(4)2008-01-30

2008/01/30 當山日出夫

この調子で書いていったら、研究会(東洋大学)が終わる前に、次のARGが発行になってしまう。いそがないと。

午後からは、デジタル・アーカイブの特集。まず、国立公文書館の牟田昌平さんの発表。私の理解した範囲で、牟田さんの発表で興味ぶかかったのは、つぎのようなことがらである。

ある特定の資料(文書)は、それが属する全体の中の位置が重要であること。公文書館である以上、そこに収められている資料は、その資料が作成された(残された)時点での、価値判断にしたがっている。あるいは、行政の仕事のプロセスの中に位置づけられている。これは、文書群全体がどのような構造や分類のもとに構築されているか、そして、当該の文献が、どの位置にあるかを見ないと分からない。

このことを、牟田さんは、森鴎外を事例に説明していた。小説家(文学者)としては、「森鴎外」であるが、公文書には、「森林太郎」で記録される。そして、その活動の履歴は、文学者としてのものではなく、軍人(軍医)としてのもの。そして、それが、明治期の行政のなかで、どのような位置づけのもとに記録されているかが、公文書館の内部の資料の構造・分類とともに見ることによって明らかになる。

このような側面は、グーグルによる検索では見えない。該当する文書だけがヒットしても、その周囲にどのような文書があるかが分からない。

ところで、私として、興味深かったのは、公文書館の設置は、近代国家とともに始まるという指摘。公文書は権力の側で作成されるものであり、それを、市民に対してオープンにするための施設が公文書館、という考え方。

では、この意味において、日本における公文書は、いったい何時からスタートするのであろうか。アジア歴史資料センターのHPでは、岩倉使節団、のデジタル展示がある。常識的には、いわゆる明治政府の成立、つまり、明治維新から、ということであろう。

それならば、「江戸時代」にさかのぼる日米和親条約・日米修好通商条約は、どうなるのか。ま、このあたりは、「歴史認識」の問題でもあり、また、条約の有効性をめぐる国際法上の問題でもあろう。(いま、ちょうど、萩原延寿の『陸奥宗光』を読んでいる。)

また、こんなことを言うと牟田さんにしかられそうであるが、国立公文書館というよりも、内閣文庫といわれた方が、私にはなじみがある。おそらく、たいていの、日本の歴史や文学にかかわる研究者は、そうではなかろうか。

江戸幕府の文書は、現在の日本にとって、公文書であろうか。たぶん、大部分の認識は、歴史的古文書、であろう。

ともあれ、「公文書」の成立と、「近代の国民国家」の成立、これがワンセットのものであるということ。このことが、私としては、非常に勉強になったことである。そして、このことは、公文書のデジタル化に国家がどのようにかかわっていくのか、という視点を持つことになる。

さらに言えば、文字コードの問題は、もはやコンピュータや文字論の領域のことではない。文書のデジタル化と保存、それと、近現代の国家と世界、この視点から考えなければならないのである、このように思った次第である。

當山日出夫(とうやまひでお)