『対論 言語学が輝いていた時代』2008-02-06

2008/02/06 當山日出夫

『対論 言語学が輝いていた時代』.鈴木孝夫・田中克彦.岩波書店.2008

新聞の広告で見て、すぐにオンラインで注文。さっそく読んだ。便利な世の中になったものであるが……机のまわりに本が積み重なっていく状況が、加速してしまった。

鈴木孝夫と田中克彦、著名な言語学者の対談である。それを、「対論」としたのは、岩波の編集者の慧眼というべきか。

この本については、いろいろな視点からものが言える。

一つには、私自身が、慶應義塾大学において、鈴木孝夫(以下、敬称略)におそわっている。また、面識のある、あるいは、きわめて身近な存在であった、言語学者も登場する。たとえば、井筒俊彦・亀井孝、など。

もう一つの視点は、純然たる、言語学研究の本としても読める。言語学は科学であるかどうか、という指摘は、素朴な問題点であるが、重要。近年、言語学は、急速に、認知科学、あるいは、コンピュータによる言語処理の分野に接近している。この流れのなかで、言語学とはなんであるのかを、再考するには、重要な契機を与えてくれる。

いろいろと言いたいことはあるが……私が、鈴木孝夫に、直接、教室で習ったのは、半年(今でいえば、1セメスタ)になる。日吉キャンパスの教養での、「言語」の講義。確か、後期から、海外に留学ということで、前期集中(週に2回)であった。しかし、この講義は、(私の記憶では)全部、出席している。

これに先だって、『ことばと文化』(岩波新書)が刊行されている。この本の著者である先生の講義に出られるのだと、うれしかったのを、今でも覚えている。

私が、鈴木孝夫から学んだものは何だろう……学問や研究というものは、自分で問題点をみつけて、自分で調べて、自分で考えるものである……という、当たり前のことである。だが、この当たり前のことが、実は、大学という学問の世界では、当たり前ではない。

私がコンピュータ(PC-9801)を使い始めて、まず、やった仕事は、JIS漢字について全部、辞書をひいて調べること。6349字について、辞書で確認した、最初期の人間の一人であろう。文学の研究にコンピュータなんか使ってはいけません、というような、先生がいた時代のころである。これは、現在では、JIS漢字論、コンピュータ漢字論として、一つの研究領域になっている。

最近、景観文字研究(非文献資料による文字研究)という領域にふみこんだのも、逆に、コンピュータに依存していない現代の文字を考える必要性を感じたからに他ならない。

別に、意図的に先駆的なことをやってきたつもりはないが、鈴木孝夫の影響をうけると、どうしてもそうなってしまう……と、いうことかもしれない。

ともあれ、この本は、現在、言語学について考えるとき、読むべき本のひとつであることはたしか。特に、チョムスキーとソシュールについて、核心をついた批判が展開されている。

その後、直接、鈴木孝夫の講義に出ることはなかったが、顔を覚えていたくださったのだろう。毎回、前の方の席で講義をきいていたから。三田のキャンパス内で、すれちがったりすると、軽く会釈してくださった。

鈴木孝夫から学んだものは、まだ、私の中に生きていると思う次第である。

當山日出夫(とうやまひでお)