明治壬申調査2008-02-08

2008/02/08 當山日出夫

東京国立博物館、近衛家(陽明文庫)の展覧会を見て、図録を買って、本館の方にむかってくとき、興味深い展示に出会った。明治初期の壬申調査の記録である。

明治のはじめ、新政府は、日本国内の文化財について、総合的な調査を行っている。このこと自体は、近代日本における、文化財研究史の中に位置づけられることになる。

私が興味をもったのは、その明治初期における「写真」の利用である。

調べてみると、展示されていた写真帳についての記録が、インターネットで読める。

『旧江戸城寫眞帖』(東京国立博物館所蔵、一八七一年)について

第6 回写真研究会 1999.11.21

佐藤守弘 SATOW Morihiro, 2001

http://www.think-photo.net/archive/edojo.pdf

中につぎのような記述がある、(PFDよりコピー)

天下ノ勢昔時ト相反シ、城櫓塹溝ハ守攻ノ利易ニ関セサル者ノ如ク相成。追々 御取繕モ無益ニ屬シ候有之。因テ破壊ニ不相至内、寫眞ニテ其形況ヲ留置度奉 願候。是ハ後世ニ至リ、亦博覧ノ一種ニモ相成。制度ノ沿革、時勢ノ流移モ可 被相認儀ニ付キ、御許容被下度此段奉伺候。以上。

要するに、実物・現物が破損・劣化してしまう以前に、写真によって、その現在の有様を保存・記録しておくべきことの意義につてい述べている。

この「写真」を「コンピュータ」に置き換えれば、今、現在の我々が着目している、「デジタル・アーカイブ」にそのまま適用できる。

明治の初期、写真こそは、最先端の記録技術であった。だが、その写真記録も、現在では、「古写真」として、劣化からどう守るか、あるいは、デジタル技術による修復の対象となっている。

現在のデジタル技術が、将来、このようにならない、という保証はない。

また、それと同時に、文化財の保存という視点からは、「実物そのものを残す」ということと、「そのコピーを作って現状を記録して劣化にそなえる」という、二つの視点があったこと、このことを確認することになる。

簡単にいえば、150年ほどの間、人間は、さほど進歩していない(技術は変わったかもしれないが)、ということになる。いや、この展示を見る前に見た、近衛家(陽明文庫)との連続で考えるならば、ものを残すということはいったい人間にとってどういういとなみであるのか、いろいろ考えさせられることになった。

當山日出夫(とうやまひでお)