「都市とその表象」(佐藤守弘)を読む2008-02-12

2008/02/12 當山日出夫

佐藤守弘さんから、御紹介いただいた論文をさっそく読んでみる。

佐藤守弘.「都市とその表象-視覚文化としての江戸泥絵-」.『美学』第51巻2号(202号).2000年

http://ci.nii.ac.jp/naid/110003714385/

よみはじめて、最初のページに、

〈日本美術史〉という言説が創造され始めたその時期に、藤岡作太郎が(以下、略)p.37

とある。私は、美術史の方面はまったく素人であるが、「〈日本美術史〉という言説の創造」は、確かに理解できる。だが、その時点から論文を書き始めるということは……「〈国語史〉という言説の創造」について、考えないではないが、(いや、自分なりに考えてきたつもりではいるが)、このような書き方はできない。人文学研究といっても、分野が異なると、かなり流儀も異なるらしい(と、思う。)

なお、藤岡作太郎は、私ぐらいの年代の人間にとっては、かなりなじみがある。『国文学全史 平安朝篇』(平凡社、東洋文庫)は、国文科の学生として、必読書であった。その本文よりも、秋山虔の手になる注釈の方を読むため、である。(いまでも、さがせば、書庫のどこかにあるはずである)。藤岡作太郎は、国文学者であるが、日本美術史の方面の研究者でもあることは、なんとなく知ってはいたが、佐藤さんの論文を読んで、初めて確認したような次第。

日本文学研究・日本語研究と、日本美術史、近いようでいて、へだたりがあるのかと思う。(このあたり、立命館ARCの赤間亮さんなどは、文学・芸能・美術と、多方面にわたる見識の持ち主であるが。)

ところで、佐藤さんの論文にかえって……あるモノやコトについて、生産者がいれば、消費者がいる、これは、普通に考えれば当たり前のことである。しかし、この当たり前のことが、きちんと考えると難しい。

たとえば、ごく身近な例では、食べ物。日本の歴史を通じて、コメという作物(食物)は、どのように生産され、どのように消費されてきたのか、このようなごく日常のことであっても、考えてみるとよくわからない。(この点、先にとりあげた『列島創世記』について不満に思う点の一つでもある。縄文から弥生への転換が、コメの栽培であるとして、このことについて、認知考古学はどう考えるのか、いまひとつはっきりしていない……ように読めた。)

さて、美術や絵画というモノであっても、生産と消費という流れのなかにあることは確かである。佐藤さんの論文は、この視点を再確認させてくれる。

江戸泥絵が、江戸という都市の何を表象しているのか、という問いかけは、泥絵の消費者の側からみて明らかになる。このことを、鮮やかに論じてみせた論文であると、私は読んだ。また、この視点は、浮世絵が、泥絵とは異なる、生産と消費の流れのなかにあったことと対比することによって、より明らかになる。

美術作品にも、その生産と流通のシステムがあって、消費者がいる。しかし、一般に、美術・芸術については、このようなことは意識しない。文学や芸術について、それを「商品」として語ることは、まだ、なじみがないといってよいであろう。だが、文学であっても、それは、書物という商品として流通している。「商品」として見る視点からこそ、見えるものもある。

ちなみに、今、私が読んでいる「商品」は、『愚か者死すべし』(原リョウ、ハヤカワ文庫)。もちろん、単行本で出たとき、すぐに買って読んだ。文庫本になって出ると、また、読んでしまう。ハードボイルドも、また、その消費者あってのものである。

注:原リョウの「リョウ」の字。JISの0208(第1・2水準)にはない。第3水準まで見えるならば、「尞」1-47-60、として見えるはず。

當山日出夫(とうやまひでお)

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