〓(ゲタ)は何を表象するか ― 2008-02-14
2008/02/14 當山日出夫
3月21日の京大のセミナーの原稿を書かねばならんのだが、それよりこっちの方が気になるので、書いてしまおう。
さきに触れたように、もろさんのブログで、「ふり漢字」などのことが話題になっている。その中に「ふり〓」もある。
http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20080212/1202826410
ここで考えるべきは次のような論点であろう。
まず、「〓(ゲタ)」のそもそもの意味というか、用法を知っているか。これは、旧来の活字(活版)印刷の時代、字がないとき、適当にある活字をひっくりかえして逆に埋め込んで、組版をした。つまり、本来「〓」という「文字」が「活字」として、存在するわけではない。しかし、印刷(活版印刷)の工程では、必須のものであるので、「〓」=「ゲタ」として、定着している。(『日本国語大辞典(第2版)』の「げた」に用例がある。
活版印刷が消滅するとともに、「〓」は自動的に無くなる。しかし、「無い字」を表すためには、何かの「文字」(あるいは「記号」)が必要。そこで、コンピュータ化するに際しても「〓」は残ることとなった。(と、私は理解している。間違っていたら、訂正してほしい。)
このような背景を知って、くだんの「ふり〓」を見ると、その文章は、異常なノイズをふくんだものとして読める。単なる「強調」ではなく、「存在することが許されないもの」という意味をふくむものとして読む。「〓」は「無い字」であるのだから。これは、私の読み方。
しかし、その「〓」の背景を知らない、若い読者、つまり、活版の校正ということを経験したことのない人間には、「〓」は、記号の中の一つにすぎない。だが、その記号としての「〓」が、どのようなニュアンスをふくんでいるかは、はっきりいって、私には、知り得ない範疇に属する。
このように考えると、単なる記号として「〓」ではなく、それを使用した作者が、何をそこで表現したかったか、どのような読者を射程に入れて書いたのか、ということを考えねばならなくなる。結局は、作者にきかないと、本当のところは分からないということか。
しかし、「〓」は、「記号」なのであろうか、それとも、「無い字」という「文字」なのであろうか……
當山日出夫(とうやまひでお)
コメント
_ ゆう ― 2008-02-14 19時04分32秒
_ 當山日出夫 ― 2008-02-14 19時13分05秒
もろさんの、種明かしに期待しているところです。
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そういえば、最近じゃ「ゲタを履かせておく」という隠語もあまり耳にしなくなりましたね。
それにしても、ゲタを特殊な音声…というか声色?(原作を実見してないので、この辺は憶測ですが)の表現手段として使うというのは衝撃ですね。平仄を表す記号(○や●)とも目的が明らかに違う感じですし。