国立国語研究所のこと(2)2008-02-18

2008/02/18 當山日出夫

国立国語研究所の移管にかんする問題については、松本さん(ひつじ書房)が、詳しい資料を整理してくれいている。まず、このことを記して感謝の意を表したい。

茗荷バレーで働く社長の日記

http://d.hatena.ne.jp/myougadani/20080215

国語研の移管の問題で、ある意味で「形式的」なことにすぎないともいえるが、軽々と見過ごすことができないのが、「図書館」のこと。

かつて、国語研に「図書館」は無かった。内部に研究図書を収集整理するセクションはあっても、「図書館」として公開されたものではなかった。つまり、非公開であったのである。(その時代、個人的に、中に知り合いの先生が、いて、その中を見せてもらったことがあるが。)

だが、それが、時代の流れととともに、一般への学術情報の公開ということで、「図書館」になった。もし、移管に際して、「図書館」でなくなるとしても、国語研の業務のための、図書資料の収集整理は、継続するであろうから、この点については、たぶん、大丈夫だろう(……と、思っている。)

問題は、「図書館」とは何か、ということである。以前のARGで、いろんな図書館のかかげてている理念について、言及されていることがあったが、まずは、日本図書館協会の『図書館の自由に関する宣言』(1979)であろう。


日本図書館協会

http://www.jla.or.jp/ziyuu.htm

図書館は、基本的人権のひとつとして知る自由をもつ国民に、資料と施設を提供することをもっとも重要な任務とする。

第1 図書館は資料収集の自由を有する

第2 図書館は資料提供の自由を有する

第3 図書館は利用者の秘密を守る

第4 図書館はすべての検閲に反対する

図書館の自由が侵されるとき、われわれは団結して、あくまで自由を守る。


「図書館」がかりに「資料室」なるというのは、形式上のことではなく、上述の図書館としての理念にかかわる問題でもある。このことの認識が、はたして、国語研の移管を立案した人間の発想のなかにあったであろうか。

そして、さらにいえば、「国語学」であるか「日本語学」であるか、「国立国語研究所」という名称は妥当であるか……いろんな意見があるであろう。だが、そのような議論をする基盤として、日本語学・国語学にかかわる専門図書館こそ必要である。少なくとも、不必要である、廃止すべきである、ということはないであろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

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