『アメリカ下層教育現場』2008-02-23

2008/02/23 當山日出夫

すでにいろんなブログなどで書かれている。特に、贅言を加えることもないと思うが、デジタル・ヒューマニティーズの視点から、考えてみる。

『アメリカ下層教育現場』(光文社新書).林壮一.光文社.2008

素朴な感想である……この本に描かれているような人々、アメリカ社会における「下層」の人たち、だが、人口から見れば決して少数とはいえない、このような人たちにとって、このブログで考えている「デジタル・ヒューマニティーズ」は、どんな意味を持つだろうか。

きわめて、悲観的・否定的な答えしか得られそうにない。「デジタル」がどうのこうのと言う前に、そもそも、教育とは、社会とは、ということを考えなければならなくなる。

コンピュータを使った最先端の人文学研究、といえば聞こえはいいが、それと同時に、世の中には、このような人々がいる、ということを忘れてはいけないであろう……という程度のことしか言えない。このことに、「デジタル」で寄与できることは、ほとんど皆無、かもしれない。

グローバルCOEと言うが、「グローバル」であるにもかかわらず、あるいは、「グローバル」になったからこそ、このような人たちがいる。その国は、同時に、マイクロソフトや、グーグルや、ヤフーを、生み出した国でもある。

たぶん、「教育」においては、明日の日本の姿かもしれない。しかし、「デジタル」の領域で、マイクロソフトや、グーグルや、ヤフーなどを、日本は、生み出せるだろうか。「下層」「貧困」は、あえていえば、やむを得ないことなのかもしれない。だが、そのような人たちをかかえても社会全体、国全体が、なりたつだけの富を保有しうるであろうか。

ところで、個人的に思うこと……教育にはコストがかかる。そして、コストをかけた教育によって、次世代に伝えることができるものは何か。それは、教育にはコストをかける価値がある、という「価値観」である。この価値観こそが、本当の意味での教育によって得られるものである。

GCOEは「教育」を重視ということになっている。これを単純に、「博士」が何人いるかということだけで考えてはいけないと、思う。教育の原点を考え直さなければならない。

ARGのオフ会の時、岡本さんが最後の挨拶で言っていた。母校であるICUは、教養学部だけの大学である、と。教養とは、教育とは、なんだろう。少なくともすぐれた教養教育は、ARGを10年にわたって継続するような人間を生み出すものである、といえる。

當山日出夫(とうやまひでお)