神保町のゾッキ本2008-03-11

2008/03/11 當山日出夫

人間文化研究機構の資源共有化一般公開記念フォーラムに参加のため、東京に行ってきた。その前は、奈良文化財研究所での、文化遺産のデジタルドキュメンテーションと利活用に関するワークショップ。これらの報告は、追って書いていくことにして、久々の神保町の印象など。

お金がいくらあっても足りなくなるのは明白であるし、かつ、重い、という理由で、東京に宿泊しても、あまり、神保町かいわいには足をむけないことにしている。だが、今回、どういうわけか、歩いてしまった。となれば、絶対に、手ぶらで通り過ぎるということは不可能。

なにもわざわざ東京で買わなくてもと思いながらも、次のような本を買ってしまった。

『世界の名著 マリノフスキー レヴィ・ストロース』(中央公論社)

店頭で、一冊300円のなかにあったので、思わず買ってしまった。まあ、個人的には、「構造主義」を自分なりに、勉強し直さないといけない、という気があってのことであるが。

『江戸東京を歩く宿場』.潮見鮮一郎.三一書房

東京という街(別に東京に限らないが)を、定住する人間の目で見るのと、旅人の目で見るのとでは違う。これは、現在の東京が、かつて、江戸であった時の「宿場」について語っている。著者の潮見鮮一郎は、『車善七』や『浅草弾左衛門』などの著作がある。都市というものをどのような視点から考えるか、興味がある。

『ドクターJazz 内田修物語』.高木信哉.三一書房

私の年代であれば、FMの深夜番組 → アスペクト・イン・ジャズ → 由井正一、そして、岡崎、となるのだが、このような記憶を共有できる人間は、少数かもしれない。しかし、その少数の人間にとっては、貴重な、時代の記憶である。

『横浜アーカイブス』.林宏樹(監修).生活情報センター

次年度、デジタル・アーカイブ論を講義しないといけないので、その準備というか、話しの材料に買ってみた。いわゆる「横浜写真」をあつめて、それをもって都市・横浜の形成史から、「アーカイブ」と言えるかどうか、見る視点によって、その意味は違ってくるだろう。このあたりを考えてみたいと思っている。

ところで、私の語彙では、上記の本など、ゾッキ本、という。古書ではない。で、買った古書店の人に聞いてみた。「今、ゾッキ本、という言葉をつかいますか? 私の学生のころは、よく使ったものですが……」。答えとしては、「今では、使わない。ゾッキ本ではなく、特価本、という」、とのこと。

本の作成・流通のシステムも変わり、ゾッキ本も、姿を消していく。このような流れのなかで、書籍とデジタルの問題も考えなければならないと、ふと、思った次第。

研究会の報告などは、追って記すことに。それから、『ARG313』についてのコメントも。また、私のメッセージにいただいたコメントにも、さらにお返事したいと思っているが、後ほど。

當山日出夫(とうやまひでお)

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