『ARG』314号2008-03-17

2008/03/17 當山日出夫

プランゲ文庫……名前だけは、一応、知ってはいたが、その実態や内容については、まったく不案内である。これは、私だけではなく、たいていの人がそうだろうと思う。

また、デジタル・ヒューマニティーズというようなことに関わっていると、ともかく全文をデジタル化してしまえ、テキスト化が無理なら、画像データとしてでも……という方向に、どうしても話しが向いてしまう。

この意味において、ARG314号の、

「『占領期雑誌資料大系』(岩波書店)の刊行にあたって」 山本武利

は、読みごたえがある。というよりも、資料のデジタル化ということを言う人は、是非とも読んでおくべきだと思う。

かりに最終的に、プランゲ文庫全体のデジタル化、ということになったとしても、書籍としての『占領期雑誌資料大系』は価値を持つ。いや、そのように編纂していることが分かる。

このプロジェクトは、大きく二つの意義があると思う。

第一に、占領期の日本を総合的にとらえようという視点である。たとえば、

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そこには生活難ばかりか用紙難、印刷難をも克服するほどのエネルギーがみなぎっていた。いわば仙花紙とガリ版を使ったブログの時代であった。

(中略)

しかし長い戦前の検閲に耐えてきた書き手や編集者はしたたかに検閲に対応し、それを乗り越えようとした。単に検閲という出版統制が布かれていたという実情のみをもって、この時期の言論の自由が封殺されていたと臆断すべきではないだろう。つまり権力と表現者のせめぎあいがこの雑誌資料に集約されていると見るべきである。

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などの記述は、時代の様相とメディアのあり方を総合的に考える視点を提供してくれる。

第二に、前述したように、デジタル化資料と、紙メディア(書籍)の位置づけである。

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だが実際の本文は玉石混淆さながらだ。その中から各ジャンルの動向を鋭く反映させた記事を選別する作業に時間を費やし、仲間同士で率直にその資料価値の判断を行った。そうした作業を経て、占領期雑誌の全体像をある程度把握したとの確信を得るに到った。

(中略)

やはり活字メディアとして復原した方が安くて読み易い。また書籍を手掛かりにシソーラス研究を前進させ、より使いやすいデータベースを完成させることができる。『占領期雑誌資料大系』はデジタルの助けを借りながらも、デジタルを助けるアナログメディアである。

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デジタルメディアは決して万能ではない。とにかく資料をデジタル化しなければいけない、という脅迫感のようなものにせめたてられていると言ってもよいかもしれない。ここは、視点を変えてみたくなる。

だた、上記のように、はっきりと明言できることは、オリジナルの膨大な資料を自分の目で読んでいるからかこそ言えること。このことを忘れてはいけない。

『ARG』314号は、資料のデジタル化至上主義に対して、一度たちどまって考えてみることの必要性を教えてくれる。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』314号:研究会で何が語られたか知りたい2008-03-17

2008/03/17 當山日出夫

ここで、あえて苦言を呈するが、立命館GCOE(日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点)では、毎週火曜日に開催の火曜セミナーについては、専用のブログで、その経過を報告し、また、その場に参加できなかった人、発言できなかった人が、後から議論を発展できるように……という方針でいる。だが、実際は、な~んとなく、とどこおってしまっている感じ……

と、このように記すのは、ARG314で紹介、また、ブログ版でも紹介の

東京大学大学院情報学環ベネッセ先端教育技術学講座(BEAT)による公開研究会「BEAT Seminar」

があるからだ。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20080316/1205643799

実際に、東大のベネッセの講座にアクセスしてみると、実に詳細に、研究会の様子が記録されている。

BEAT Seminar

http://www.beatiii.jp/seminar/

たしかにこれだけのHPのコンテンツを整理するのは、人間の手間暇がかかる。しかし、研究会を開催するとき、そこで話しをするだけ、話しを聞くだけではなく、そこでの内容を整理して公開し共有すること、この次のステップに非常に大きな意味があると思う。

このようなコンテンツを作るのは大変な手間だが、研究会の成果を、飛躍的に向上させることができる。つまり、コンテンツ作成者=開催者・発表者、にとって、より大きな意義がある。つまり、勉強になる。

このようなことは、私のような者でも、自分の出た研究会については、可能な限り自分の理解したことを整理して、このブログで書いている、その経験から分かる。話しっぱなし、聞きっぱなしでは、もったいない。せっかく時間を使って、研究会に出たり、話しを聞いたりしたのなら、そこで得た知見から、さらなる高みへとのぼることができる、そうすべきであろう。それには、時間がかかることもあるが、むしろ、意識の持ち方の問題かもしれない。

東大のベネッセ講座で出来ていることが、他の研究機関や学会などで出来ないはずはない。あるいは、東大のベネッセ講座が、このことを、実践的にやって見せてくれているということなのかもしれない。ただ手間暇の問題ではなく、意識の問題として、とらえるかどうかだろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

追記

『女は何を欲望するか?』(内田樹、角川書店)が、まだ読み終わらない。それに、『日本の愛国心』(佐伯啓思、NTT出版)や、『写真空間』(1)(青弓社)なども、つんだまま。