東洋学へのコンピュータ利用2008-03-29

2008/03/29 當山日出夫

毎年のことであるが、京大でのこのセミナーが終わらないと、次の年度の準備にとりかかれない……なんとなく、節目の行事に、個人的にはなってしまっている。

昨年は、「色」のことで発表した。とにかく、このセミナーの中心が安岡孝一さんであるので「文字」についての発表が多い。で、あえて昨年は「色」のことをとりあげた。

ことしは、もとにもどって(?)、文字論で発表することにした。自分の発表のことは、また別に論文も書いていることだし、今後も関連した発表を続けていく予定なので、他の方々の発表について、ざっと感想を記しておくことにする。

印象に残るのは、なんといっても、最初の発表である。(※厳密に、安岡さんの意図どおりに、コンピュータで表示することは難しいかと思われるので、あえて、文字は部首に分解してしめす。)

安岡孝一 ネ申と示申、木ネ申と木示申

音声言語化すれば、「カミとカミ、サカキとサカキ」になる。発表の趣旨は、現在進行している、常用漢字の策定において、文字が追加になった場合、どうなるかという問題。より厳密には、文字の追加における、字体の整合性の問題。

単純に整理すれば、現代の日本の漢字政策の根幹は、「常用漢字」「人名漢字」そして「JIS漢字」(0208)にある。ここに、「表外漢字(印刷標準字体)」および、それに影響されての「0213:04」がある。

ここで、新・常用漢字に「サカキ」の文字を追加するとした場合、どのような問題が生じるか、日本の言語政策史に沿って、詳細に論じたものである。

論文の最後を安岡さんは、こう結んでいる。

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(康煕字典体を例示して)のような康煕字典体を常用漢字に追加する、ということが可能なのだろうか。文化審議会国語分科会のお手並み拝見、というところである。(p.30)

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個人的には、あるいは、論理的には、異論はない。ただ、問題は、ある字体表があったとして、それを、人々がどのように運用するか、現実の社会の中での文字使用の実態という側面があることも、考えておくべきかとも思う。字体の規格というのは、どこまで規範性、あるいは、拘束力を持ちうるのか、ということである。

現実には、新・常用漢字がどうであれ、また、JIS規格がどうであれ、マイクロソフトが、どのようなフォントを実装するかで、文字が決まってしまう。また、一方で、コンピュータに依存しない手書き文字の世界は、別に存在しつづける。さらには、コンピュータにおいても、フォント埋め込みPDFが、さらに一般的に使用されるようになると、文字使用の制約(字体)は、かなり緩やかなものとして運用されることになるだろう。

規格に対する、社会の対応という視点……社会言語学的文字論、としても考えてみる必要があるだろう。これは、翌日の尾形さんの発表にもかかわる。当用漢字字体表と、拡張新字体使用の実態の関係である。

當山日出夫(とうやまひでお)

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