人文情報学シンポジウム(4)2008-04-13

2008/04/13 當山日出夫

人文情報学シンポジウムの、師(もろ)さんの発表については、御自身のブログに書いておいでなので、そこを示すにとどめることにする。

http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20080329/1206720504

で、最近の話題が、ふりがな、である。

おそらく「ふりがな」の起源を考えるとなると、「訓点」にまで、さかのぼることになるであろう。一応、私の専門は、訓点語、ということにしているのだが、現代の「ふりがな」あるいは、日本語書記文化論とつなげるとなると、かなり大変である。

http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20080411/1207923241

「ふりがな」に限定せずに考えてみれば、平安朝からの絵巻、中世の奈良絵本、近世になってからの種々の挿絵入りの版本や、浮世絵……これらは、これらは、すべて、絵画的(視覚的)表現と、文字(書紀)とが、融合している。

さらには、書芸術……というものは、単なる「文字」だけではなく、その上に、視覚芸術の要素を加味しないと、成立しない。

この意味では、「ふりがな」「訓点」「絵巻」これらは、書芸術をふくみこんで、東アジア文化に特有の何かなのかもしれない。日本独自とはいえないであろう。書芸術は中国が本家というべきであるし、また、絵画に「讃」を書き加えるとなると、絵画・文学・書芸術、融合した領域になる。

おそらく、このような文化的・歴史的背景のもとに、すくなくとも日本における、ユーチューブ文化、ニコ動文化、は成立していると考えるべきではないであろうか。これを、全世界的に考えるとなると、また、別の視点が必要になるかもしれないが。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』318号2008-04-14

2008/04/14 當山日出夫

ARGの318号について、いささか。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20080413/1208081624

結果的にであるが、今回318号を見て、さっそく、オンラインの書店のいくつかに、注文をしてしまった。注文して買うのはよいが、それを、じっくり読んでいる時間があるかどうか。さらには、その本について、自分自身で、多少なりとも感想でも書けるかどうか、こころもとない。

ARGとイベント案内にあった、日本アーカイブズ学会には出席の予定。HPで見ると、別に会員限定ではなさそうなので、出ておこうと思う。渋沢財団のビジネスアーカイブについての発表もあるし、また、明星聖子さんの発表は是非とも聞いておきたい。

人文学研究にかかわるもので、コンピュータを使わない、というのは、かなりの少数になってきている。使わないなら、使わないで、別にそれで、悪いとは思わない。

それよりも、たちが悪い、と感じるのは、コンピュータの利用(インターネットのコミュニケーションや、資料のデジタル化)について、無自覚な人が多いこと。コンピュータをつかったからといって、人文学研究の本質が変わるわけではない、と言う人もいる。それは、そうかもしれない。(実は、私自身も、この意見には、半分同感である。)

だが、やっぱり変わっていかざるをえないだろう。社会のあり方そのものが、コンピュータやインターネットによって大きく変わっているのだから、その上にある、人文学研究が、何も影響を受けないはずはない。

では、何がどうかわるのか……となると、ここから先が、混沌としている。だが、このようなことを考えるためのヒントになる本や論文が、今回のARG318号では、多く紹介されている。

ただ、個人的に思うことは、どう変わっていってもいいのだが、東京に行く新幹線の中でまで、ノートパソコンで仕事はしたくない。列車に乗っている時間ぐらいは、車窓からの風景を眺めながら、ゆっくりとすごしたいものである。 と、いいながらも、この文章は、授業が始まる前の講師室で書いている。いくら使っているのが、レッツノートであっても、やはり電源は確保したい。できれば、インターネットも。残念ながら、今、いる環境では、無線LANは無い。(送信は、家に帰ってから。)

それから、6月に岡本さんが京都においでになる、ということであるならば、オフ会を企画したい。立命館のグローバルCOE(日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点)や、同志社の文化情報学部、さらには、京都近辺にいるCH研究会の関係者、なるべく声をかけてみようと思っている。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』318号(2)2008-04-14

2008/04/14 當山日出夫

ARGの318号で指摘してあった問題で気になったのが、浜松医科大学図書館HPの色の問題。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20080323/1206284371

私は、これまでに、色覚異常の人の見え方(辞書のカラー印刷・黒板の赤いチョーク)について、いくつか論文を書いている。で、さっそく、富士通の「ColorDoctor」で、色覚異常シミュレーションを見てみる。

これは、私の判断であるが、浜松医科大学図書館のHPの色遣いは、カラーバリアフリーの視点からは、特に問題はないように思える。そもそも、カラーバリアフリーの発想は、「色だけで識別しないように」ということであると、私は理解している。この意味では、3色正常でも、第1色覚異常(赤)でも、第2色覚異常(緑)、さほど、シミュレーションの結果の見え方に大差はない。

HP全体としては、カラーバリアフリーに作ってある。リンクの箇所を「色」だけを変えて見せる、という観点からは、同じように見える(あるいは、識別しにくい)。この点では、とても、公正な色遣いであるといえよう。

これ以上のことは、作った人の考え方を聞かないとわからない。ただ、医科大学図書館のHPである以上は、「色覚異常」について、まったく無知であるはずはない(だろう、と思う)。

補足(1):以上、用語としては、医学用語として「色覚異常」を使用。その症状の名称は、現在、正規の医学用語としては、変わっているのだが、富士通のColorDoctorの用語(以前の用語)にしがっておく。

補足(2):富士通のColorDoctorは、フリーのソフト。ただ、このソフトは、色の識別についてシミュレーションするのであって、色の見え方の中身までは、わからない。この点をふまえたうえで、使う必要がある。

富士通 カラードクター

http://jp.fujitsu.com/about/design/ud/assistance/colordoctor/

當山日出夫(とうやまひでお)

学会と次の授業の準備2008-04-18

2008/04/18 當山日出夫

明日から、東京。日本アーカイブズ学会(学習院大学)。「デジタルアーカイブ論」というような授業を始めると、まあ、これは私の性癖かもしれないが、「そもそもアーカイブとは何であるか……」ということから、話しを始めることになる。

そうすると、いわゆるCH・DH(デジタル・ヒューマニティーズ)で考えている、「デジタルアーカイブ」とは、まったく異なる世界があることに気づく。これでは、相互に、意見のすれちがいがあっても当然、というふうに思えてもくる。

だが、そこのところを何とか、つなぐ努力をしないと、日本における「アーカイブ」も、また、デジタル・ヒューマニティーズの未来もない。「デジタルアーカイブ」を基礎づけるものとしての「デジタル・ドキュメンテーション」というようなことを考えている。デジタル化したときの、「エビデンス」(=証拠)を、同時に、どのように、デジタルで、記録するか、というようなこと。

ところで、週末が使えないと、次週の授業の用意ができない。次の、次の分まで、用意しておかないといけない。だからといって、外に出てまで、ノートパソコンを持っていって、仕事をしたくはない。とはいえ、なかなか、そうもいかなくなりそうである。

少なくとも、今回は、持っていかないことに決めた。

でも、5月の日本語学会の時は、どうしても持っていかないと。安岡孝一さんの、シンポジウムでの話しを聞きながら、自分のパソコンで表示の文字を見る、ということになりそうである。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』319号2008-04-21

2008/04/21 當山日出夫

ARGの319号を読んでいささか。(と言っても、この文章は、大学の講師 室で、インターネットにつながらない環境、無線LANもなし、で書いている ので、あらためて、家に帰ってから送信、ということになる。)

http://d.hatena.ne.jp/arg/20080421/1208704629

一昨日から昨日まで(19~20日)、日本アーカイブズ学会に行ってきた。 立命館GCOEのプロジェクトの一部としての出張という形がとれたので、ど うにか行ってくることができた。

おそらく、この日本アーカイブズ学会の「アーキビスト」の公的資格制度への 提言のシンポジウムと、ARGのイベントカレンダーにある

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◆2008-04-23(Wed): 記録管理学会・ARMA東京支部・全史料協 「特別講演会:文書管理法(仮称)の制定に向けて」 (於・東京都/中央大学駿河台記念館) http://www.arma-tokyo.org/event/ev0803-01.htm

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とは、連動しているものなのだろう。

日本アーカイブズ学会については、また、別に個人的に感想を書き綴っていこ うと思っている。ただ、ここで感じることは、コミュニティが閉じている、と いう印象を持ったこと。日本アーカイブズ学会と、記録管理学会、全史料協と は、かなり密接な関係性をもっているように思えた。しかし、図書館・美術 館・博物館などとの関係はどうなっているのか、いまひとつはっきりしなかっ た。古文書学会との関係はどうか。また、今後、日本のアーカイブがどうなる にせよ、デジタルとは無縁でいられるはずがない。にもかかわらず、CH(情 報処理学会、人文科学とコンピュータ研究会)などとの、人的なつながりが、 ほとんどない。

「デジタルアーカイブ」という用語をめぐっては、すれ違いがある。(このこ とについては、今後、考えていきたい。)だが、すれ違いがある……と、認識 するのであるならば、まず、異なる考え方をしている相手の主張・発想に、耳 をかたむけるべきではないだろうか。異なる考えをする人を排除していては、 議論が深まらない。

せっかく、『ARG』があり、これを、介在すれば、従来ならば、異なる環境 でしか存在し得なかった人々が、語りあう「場」を設定できる。それが、リア ルな研究会や学会などにおいてであるかもしれないし、また、バーチャルなネ ット空間においてであるかもしれない。

インターネットというのは、オープンなものであるが、意外と閉じている面も ある。ネット上のコミュニティのあり方について、考えていきたい。

この意味では、

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◆佐藤翔さん、日本図書館系ブログ史略年表(α版)を公開(2008-02-25)

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と連動するような形で、日本記録管理系ブログ史や、日本アーカイブス系ブロ グ史、など、だれか作ってくれないものだろうか。

かく言う私の希望としては、CHの歴史(パソコンを人文学研究者つかうよう になってからの歴史)を、なんとかしてまとめたいと思っているのだが、本格 的に手がつけられないでいる。なお、この観点では、昨年の1月のCH研究会、 於総合研究大学院大学)での、これまでの研究発表論文一覧が基礎資料となる。

當山日出夫(とうやまひでお)

『インターネットはいかに知の秩序を変えるか?』2008-04-24

2008/04/24 當山日出夫

今日、買ってきたばかりの本。この私のブログを見ているような方にとっては、興味があるだろうと思って、紹介だけしておきたい。

『インターネットはいかに知の秩序を変えるか?-デジタルの無秩序が持つ力』.デビッド・ワインバーガー/柏野零(訳).エナジクス.2008

目次は、以下のとおり、

1.整理の新段階

2.アルファベット順とその不満

3.知識の地形図

4.まとめと分類

5.ジャンルの掟

6.賢い葉っぱ

7.社会として知ること

8.無が伝えること

9.美徳としての無秩序

10.知識の仕事

先に記したとおり、日本アーカイブズ学会に行ってきたが、「デジタルアーカイブ」という用語には、いろいろな観点の相違があるようだ。その一つを解明するキーとなるのが、「知の秩序」という見方であろう。図書館関係の人の読後感など、是非、読みたいものである。

當山日出夫(とうやまひでお)

『理系のためのフリーソフトVer.2.0』2008-04-24

2008/04/24 當山日出夫

これも、今日、買った本。フリーソフト集(一部、シェアウェアをふくむ)である。フリーソフトであるから、すべて、インターネットで、タダで手に入る。だから「本」で買う必要などない……と言ってしまえばそれまでである。しかし、一般に、どのソフトが「定番」として使われているのか、また、バグがあるとすれば、どのようなものか、既存の市販ソフトとの整合性はどうか、わりと細かに解説がついている。もちろん、CD-ROMも。

書名が『理系の……』とあるからと言って、文系の人間が手を出さずにおくのはもったいない。CD-ROMつきで、かつ、解説の価値を考えれば、1400円は、そう高いものではないと思う。

なお、この本の「はじめに」のところで、ここに収録したソフトは、フリーであるから、配布(コピー)が自由であると、明記してある。当たり前のことであるが、これは、きちんと書いておくべきことである。

『理系のためのフリーソフト Ver.2.0』.講談社サイエンティフィック(編).講談社.2008

當山日出夫(とうやまひでお)

日本アーカイブズ学会 (1)2008-04-27

2008/04/27 當山日出夫

4月19・20日と、日本アーカイブズ学会に行ってきたので、その私的なレポートを記していきたい。

そもそも、何故、私が、日本アーカイブズ学会に出て見ようと思ったのか、という点からいえば、いろいろ事情がある。

まず、立命館のグローバルCOE(日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点)にかかわるようになると、どうしても、中核となるCH研究会や「じんもんこん」だけではなく、周辺の研究会・学会などに、関心を持たざるをえない。

世の中が全体として、種々の文化事象をデジタルであつかおうとしているのか、さまざまな視点から、各種の動向を把握しておく必要があると、私は、思っている。つまり、全体のなかでの、自らの位置づけを常に確認しておく必要性ということである。なお、この点では、ARGは非常に参考になる。

CH研究会や、GCOEでは、デジタルアーカイブという言葉を非常によくつかう。いや、使うようになった、というべきであろう。きちんと構造化されたデータベースでもないし、ただ、データをコンテンツとしてため込んだだけのものでもない……というあたりから、デジタルアーカイブという用語が使われるようになったのだと思うが、このあたり、永崎研宣さん論文を読み直して、あらためて考えてみなければならない。

が、ともあれ、「デジタルアーカイブ」という用語を、さかんにつかいながらも、その本家本元というべき、「アーカイブ」の専門家は、いったいどう「デジタル」について考えているのか、知っておくべきであろうと考えた。

それともう一つの理由は、今年度、映像学部の「デジタルアーカイブ論」なる授業を担当することになったので、急遽、「アーカイブ」について勉強しなければならない、さらに、その「デジタル」の意味について考えなければならない、という状況になった、ということもある。

19日の初日は、会員による総会と、その後の講演会(石井米雄さん)、懇親会であった。

正直な感想を言えば……知った人がほとんどいない。懇親会に出て、すでに顔なじみであった人といえば、八重樫さん(静岡大学)と研谷さん(東京大学)の二人だけ。いいかえれば、CH研究会などで常連である情報工学系、あるいは、私のような、人文学の側からコンピュータを使っている研究者、このようなメンバーが、ほとんどいない。「じんもんこん」の懇親会であれば、話しをする相手に困らないが、アーカイブズ学会の懇親会では、話しをする相手がほとんどいなかったというのが実情。翌日に発表の明星さん(埼玉大学)はいなかったし。

つまり、これは、そもそもの、人的な交流の欠如、と言っていいかもしれない。これは、今後、双方の分野にとって、不幸なことになりかねない。仄聞するところでは、アーカイブの専門の人たちの間では、「デジタルアーカイブ」の用語に批判的であると聞く。一方、CHなどの側からは、これまで積極的に「アーカイブ」とは何であるか、という問いかけをしてこなかった。ただ、今のCH研究会になって、主査・幹事の鈴木さん(歴博)の意向で、研究会のときに「アーカイブ」小特集を何度かやろうという動きになっているのは、よろこばしいことではある。

まあ、ともあれ、自分自身で、学会に足をはこんで、どんな様子か見てみよう。学会・研究会の口頭発表を聞くのが、一番、その分野でのものの考え方を知るのにてっとりばやい。

というわけで、日本アーカイブズ学会に出かけていった次第である。2日目の各研究発表やシンポジウムについての感想は、次回以降に記す。

當山日出夫(とうやまひでお)

長尾真先生とリポジトリのことなど2008-04-27

2008/04/27 當山日出夫

現在の国立国会図書館長の長尾真先生とは、幾度か会っている。最近では、人間文化研究機構の資源共有化記念のフォーラムにおいて。かなり以前のことになるが、CH研究会でも、お話ししたことがある。実は、このブログの運営主体である、アサヒネットがパソコン通信であった時代、長尾真先生の門下の方と知り合いであった。

先日の、ARGのオフ会(京都)でも、国会図書館の方たちを話しをしたが、非常に、職員の人たちから、慕われているという印象を得た。

これとは別に、本の問題である。

私が見ているブログのひとつに、茗荷バレーで働く社長の日記、がある。その2008年4月27日で、長尾真先生の発言にふれてある。

http://d.hatena.ne.jp/myougadani/

ここで触れてある問題は、単に、図書館・出版業界の問題ではない。朝日新聞の4月11日(大阪版・朝刊)、大学などの機関リポジトリのことがとりあげられている。現在、その記事そのものをオンラインで見ることはできないが、次のHPに記録がある。

Digital Repository Federation

http://drf.lib.hokudai.ac.jp/drf/index.php?press

この問題も、結局は、有料・無料の対立点がある。

ただ、この問題について、純然たるユーザの立場、あるいは、研究者の立場からいえば、機関リポジトリには、おおいに賛成である。

第一に、自分が読みたい論文が、すぐに読めること。

第二に、これは、上記のことの裏返しであり、あまり多く人は言っていないようであるが、自分の論文が、より多くの人に読んでもらえること。これが、最も研究者としては、重要なことだと思っている。

私は、有料であってもよいと思う。図書館(公立の図書館であれ、大学の図書館であれ)まで出かけていく交通費と、コピーの代金、それと、その便利さを総合的に判断してということになる。

しかし、だからといって、紙媒体が不必要とは思わない。情報処理学会でも、電子ジャーナル化の方向に向かって動いているようであるが、研究会報告などは、紙であった方がよい。

なんとか、紙メディアと電子メディアとが共存するシステムを考えなければならないだろう。デジタルアーカイブの議論も、このことを、ふくむものであるべきだと考える。このあたり、「アーキビスト」の人たちがどう考えているか、今後、見ていきたいものである。

「投げ銭」も一案であろう。また、有料のメールマガジン、例えば、「サイエンス・メール」などもあっていいだろう。ただ、デジタルの世界では、物理的にモノ(=書籍)を所有するという概念・発想自体が、崩壊するのである、という認識は必要かと思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』320号2008-04-29

2008/04/29 當山日出夫

ARGの320号を見て、感想をすこし。

国立公文書館の「太政類典の構成」の公開。これは、とても重要だと思った。

http://d.hatena.ne.jp/arg/20080402/1207066468

「アーカイブ」というのは、文書群の構成・構造に意味がある……という視点が重要なのだと思う。これは、現時点での私見にとどまるが、「デジタルアーカイブ」を「アーカイブ」の考え方で見たとき、その問題点のひとつは、ピンポイントで、検索キーワードによって、対象にたどりついてしまうこと。いいかえるならば、どのような、組織の業務のなかで発生した文書であるか、もとの構成や出所が、不明のままでも、利用できてしまう、という点にあるのでは、思っている。この意味では、文書の全体の構成を示すものとして、この仕事は、非常に意味のあるものであると思う。

このあたりを、どのように評価するかという点が、今後の、「デジタルアーカイブ」のゆくえを考えるポイントになるように、思う。

それから、「文化遺産オンライン」であるが、絵画類については、かなり精細な画像を提供してくれているのに、文字が書いてある典籍類は、どうして、字が小さくしか見えないのだろう、という気がする。テキストがきちんと読めて、どのような文字で書いてあるのか、字体が判読できる精度の画像が欲しい、というのが、人文学系の古典籍研究者としての、希望である。

この意味では、「e-国宝」は、画像がバラバラで見にくいという欠点はあるが、高精細画像を提供してくれているのでありがたい。

http://www.emuseum.jp/

このような、文化財のオンラインでの見せ方(一般向け・専門家向け)について、今後、議論が深まっていくことに期待したい。

それから、滋賀県の琵琶湖博物館。ここは、博物館としても、非常にすぐれた博物館である。琵琶湖の生き物の生態系や歴史を全体としてとらえる、また、そこで生活してきた人々の生活の様子も、それと一緒に見られるようにしてある。この琵琶湖博物館のサイトを見て、主体である、博物館それ自体の運営のコンセプトが反映したものであって欲しいと思う。

これも、図鑑単体で見せる方向もあるが、琵琶湖の生態系や人々の生活、という視点から、相互にリンクして見せるという方法もあってよいように思う。これは、実際に琵琶湖博物館に行って、「ここは新しい発想の博物館だな」と感じた人間の感想である。

當山日出夫(とうやまひでお)