JADS(2) ― 2008-06-11
2008/06/11 當山日出夫
JADSの感想の続きである。
鷲見さんの基調発表の後、『物語るドキュメンテーション』のシンポジウムに移行する。
千速俊男さん(成安造形大学)
物語る美術作品のドキュメンテーション - 一西洋美術史研究者の立場から -
千速さんの論集は、冒頭にこうある。
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西洋美術において、narrative と対をなす概念は icon である。narrative を「この作品は何らかの物語を物語っていると、鑑賞者が受け取るような要素が美術作品のうちにある」とするならば、このような「物語を物語る要素」を欠いた形象が icon となろう。
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と、まず、 icon と narrative を対比する。そして、絵画が物語るとはどういうことであるのかを、歴史的に分析していく。このあたりの経緯は、西洋美術の門外漢である私には、よく判断しえないところである。
だが、最終的に、「ドキュメンテーション」ということを、キーワードに考えたとき、この発表の最後で紹介のあった映画「ルーブル美術館の秘密」は、興味深かった。
基本的に私は、言語の研究(日本語の文字)の立場にいる。だから、最終的に、言語として、どのように表現するかどうか、を考える。つまり、「ドキュメンテーション」という行為は、言語による言説化の範囲内でしか、考えられない。 ありていにいえば、メタデータとか、パラデータ、というような用語から離れられない。(これは、「ドキュメンテーション」という用語を、どのように定義しようとである。)
この意味で、美術作品(ルーブル美術館、それ自体が、一つの美術作品といえるだろう)を、映像によってとらえた「ルーブル美術館の秘密」を、「ドキュメンテーション」としてとらえる視点は、実に、驚きであり、新鮮であった。
また、発表におけるつぎの指摘は、重要であると思った。
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美術家と鑑賞者とでは、何がことなるのだろうか(中略)むしろ、世界のなかから物語の発端を見いだせるかどうか--これこそが決定的な差異なのではないか。
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この美術は、狭義の美術(絵画など)に限定されないであろう。文学・演劇、芸術一般にまで、射程のおよぶ問いかけであると感じた。
當山日出夫(とうやまひでお)
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