学術書出版とDTP:伊藤さんにこたえて2008-11-19

2008/11/18 當山日出夫

伊藤さん、コメントどうもありがとうございます。

2008年11月14日

http://yamamomo.asablo.jp/blog/2008/11/14/3918278#c3951201

HPでの御著書、拝見しましたが、かなりの高額ですね。ただ、本を買うと、全文データのCD-ROMが、手に入る、というのは、魅力的です。このようなことは、著者が、全部の組版データしたからこそ可能、という面もあるでしょう。

http://www.s-ito.jp/gaikojiho/

学術書の場合、紙の本と、データとあれば、両方欲しい、というのが、多くの研究者の考えるところだと思います。相互に、メリットを生かして活用できます。

少部数学術出版、オンラインジャーナル、機関リポジトリ、それに、ブログやHPでの情報発信、そして、図書館、出版社、書店、これらを総合的に考えていかなければと思っています。伊藤さんの例などは、うまく活用なさっていると、感心しました。

なお、出版をめぐる、種々の権利関係は、漢字文献情報処理研究会で、かなり現実的な議論がされています。

http://www.jaet.gr.jp/

現代の潮流のなかにあって、DTP学術書、というのは、必然の方向(すくなくともそのひとつ)であると考えます。

ただ、完全に著者(研究者)が、版下(ノンブルや柱まで)を完全原稿で作成するのか、については、私自身、躊躇するところがあります。個人的には、インデザインも持っているのですが、使いこなせるかどうかと言われると、正直に言って自身はありません。

今回、私、あるいは、私の周辺の人たちで企画している本の場合は、A5の大きさだけはきまっている。それに、上下左右の余白を、指定しておく。その中身は、ある程度、執筆者の自由にまかせる。という方針で考えています。

出版社の方では、それを、インデザインで、左右位置の調整(左右のページで、マージンを変える必要があります)、ノンブルと柱を入れる。それを、最終的に、トンボをつけて出力して、最終版下にする。

完全な著者自身による、版下作成ではありません。しかし、メリットとしては、

第一に、著者が、自分の書いている文章や文字(字体・グリフ)について責任を持てる(文字についての論集ですから、実は、このところが最も大事だと思った次第。)

第二に、いくぶんでも、コスト削減。

ただ、このような方式、完全版下にせよ、印字領域内だけのフォント埋め込みPDFにせよ、組み版とは何であるか、ということについての基礎知識は必要です。

コンピュータ時代になってからの、印刷における「組版」の意識も、大きく変わりました。

たとえば、文字を組む方法 永原康志さん

http://www.morisawa.co.jp/font/techo/mojigumi/index.html

インデザインを使いこなすためのコスト(時間・費用)は、たしかにかかります。それ以前に、普通につかっている、Wordや一太郎で、どこまで可能かを、見極める「目」が必要です。すくなくとも、ワープロの初期設定まかせではなく、現在の印刷事情では、どこまで可能か、それを知っておくことも、これからの研究者の、基礎知識になりつつあるといえるかもしれません。

當山日出夫(とうやまひでお)

人文情報学:英雄か馬鹿か豪傑か2008-11-19

2008/11/19 當山日出夫

朝日新聞は、基本的に見るのは、まず、サンヤツ。今日は、たまたま、そのついでに(?)、その上にある、『天声人語』の方に目がいった。テーマは、今、問題である、大学生の大麻の件(各大学関係者は、次はどうなるかと不安だろう。)

その中で、次のように書いてあった。孫引きの孫引きで、引用する。劇作家、山崎正和さんのことばとして、

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「ファッションというのは、始めるやつは英雄で、最後まで従わないやつは豪傑で、真ん中にいるやつはみんな馬鹿」

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人文情報学、デジタル・ヒューマニティーズ、これは、現時点では、「流行」と言ってもよい。すくなくとも、「流行のきざし」ぐらいのところではある。

では、今、これらにかかわっている人たち(私をふくめて)は、「英雄」であろうか、それとも、「馬鹿」であろうか。

今、がんばって、とにかく「人文情報学」を確立しようとしている人たちを馬鹿にするつもりは、まったくない。ではあるが、上記引用の山崎正和のことばは、なんとなく気になる、のである。

當山日出夫(とうやまひでお)