ペーパーレスの研究会 ― 2008-12-29
2008/12/29 當山日出夫
これまでの研究会・学会、というと、「簡単な要旨」「フルペーパーの論文」「パワーポイントのプリント」、いずれの形態にせよ、なにがしか、モノ(紙)、があるのが原則であった。
しかしながら、次年度より、情報処理学会は、完全にペーパーレスの方向に向かう。
情報処理学会:論文誌のオンライン出版(印刷物の廃止)について
http://www.ipsj.or.jp/03somu/kinen_jigyo/50anv/d-library/dl-ronbun-200710kaikoku.html
この件については、CH研究会のHPでも言及してある。
じんもんこん → 重要なお知らせ → 情報処理学会のオンライン化事業について(長くなるのでURLは省略)。
さあ、どうしようというので、困惑しているのが、多くの人々の実感かもしれない。
ところで、安岡さんがコメントでおっしゃるように、全員ノートパソコン持ち込み、プロジェクタにつながる/つながらない、どうなってもいいから、どうにかしなさい、これもまた一案。
でも、システムによっては相性の悪いこともある。なぜか、私の使っている、レッツノート(A4サイズ)は、時々、おかしなことになる。映らない、映っても、画面がずれる、アスペクト比が違ってみえる・・・・・・
ペーパーレスというのは、本当に時代の流れなのだろうか。紙でも残すが、デジタルでも残し、かつ、両方の流通があり得る、これを考えるべきではないだろうか。問題は、ペーパーの真正性と、(ざっくばらんに言って)ビジネスの問題。研究会の参加費+資料代、ということで、お金をなにがしか払うのは、これまでの慣例から納得できる。その資料が、デジタル、となった場合、全員が律儀に料金を払うか、どうか。
先日、神田の精興社に行って、ある電子出版の会議。私は、こう言ってしまった、「データはタダである」。タダのデータをつかって、どのようなビジネスモデルを構築するか、これから、考えないといけない。いや、実際に、企画の文書を書かないといけない(年末年始はこれでつぶれそうである。)
當山日出夫(とうやまひでお)
『趣都の誕生』 ― 2008-12-29
2008/12/29 當山日出夫
森川嘉一郎(2008).『趣都の誕生 -萌える都市アキハバラ- 増補版』(幻冬舎文庫).幻冬舎
もろさんのブログで紹介されていたので、本屋さんでみつけて、すぐに買った。
http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20081207/p1
私が付箋をつけたのは、次のような箇所。
『ほしのこえ』『月姫』にかんして、
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これまでなら社会的な力学によってしか実現し得なかった次元の趣味の商業化を、個人の方がより効率的にできるような状況になりつつあることを直感したからではなかったか。(p.214)
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おそらく、この指摘は、人文情報学(デジタル・ヒューマニティーズ)全般にも言えることかもしれない。確かに、大学や研究所など、既存の、研究機関による大規模な研究、その環境の整備、さらには、機関リポジトリなど、組織でなければできないこともある。主に、資金と設備の問題。
だが、そのなかでの個々人の研究者の自由な活動や相互のコミュニケーション、また、情報発信など、かえって、ブログなどの個人レベルのメディアの方が、より有効である、ともいえよう。
ふと思うが、人文学系の研究者は、やはり「オタク」的な存在かなあ、と思ってしまう。現在の開放的な渋谷の街よりも、個室的なアキバの方が、似合う。(ちなみに、私は、アニメ絵は描けないので、本物のオタクではありません。ねんのため。)
そういえば、神保町(実は、アキバからすぐ近くにある)も、かなり、個室的な店構えの街である。書店といっても、ジュンク堂のような開放感はない。特に専門(歴史や古典の研究所をあつかうような)の古書店は、入るのに、ある種の敷居がある。これは、アキバの、それぞれのオタク専門店に足を踏み込むのに近い感覚かもしれない。
なれてしまえば、どうということはない。いや、なれてしまうと、門外漢の来店にすぐ気づく。「あ、これは、卒論の資料さがしに歩いている学生だな」と、直感的にわかる、いや、わかったものである(こんな話し、いまでは、昔話になってしまっているが。)
當山日出夫(とうやまひでお)
研究会はライブであるという考え方 ― 2008-12-29
2008/12/29 當山日出夫
安岡さんのおっしゃるように、研究会=ライブハウス、に私も賛成。
学会誌などが別にあるのなら、当日の予稿がフルペーパーである必要はない。ま、このあたり考えて行くと、情報処理学会の研究報告というペーパーのあり方の位置づけが難しい。査読つきの論文誌がある一方で、自由に書けるメディアもあっていいと思っている。
ところで、研究会=ライブハウス論に近いのが、以前、言及した、『これから学会発表する若者のために』(酒井聡樹、共立出版)の考え方。
第3章「学会発表とは何か」で、こうある、
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学会発表は、研究成果発表の仮の場である。(かなり長い中略)論文には、記録としての価値がある。学会発表に、記録としての価値はほとんどない。論文は記録に残すために書く。学会発表は記憶に残すために行う。(p.9)
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であるならば、学会発表とはライブ、である。しかり、とするならば、
論文とは、
「CD」
のごときもの、と考えるべきである--これは、あくまでも、たとえ、であるが。
などと、急に司馬良太郎風に書いてしまうのは、『猿蟹合戦とは何か』の影響なのだ。
う~~ん、それにしても、12月の先日開催の「じんもんこん2008」が、第10回目。CH研究会は、先年、全国制覇を達成。そして、「東洋学へのコンピュータ利用」が、次回は、20回目。ついでに(といっては失礼だが)、アート・ドキュメンテーション学会も、20年目になる。
後になってふりかえれば、ここ1~2年が、「CH 2.0」(あまり、いい名称とは思わないが、とりあえず書いてみた)への、節目の時期であるのかもしれない。
當山日出夫(とうやまひでお)
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