『学問の下流化』:大学の教科書2009-01-07

2009/01/07 當山日出夫

竹内洋(2008).『学問の下流化』.中央公論新社

読んで印象に残ったところをいくつか。

第3章の「大学改革のゆくえを考える」。これは、『大学改革の社会学』(天野郁夫、玉川大学出版部、2006)の紹介。このなかで、次のように書いてあるのが印象的。この本における指摘として、

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アメリカの大学は単なる企業モデルに終わるものではない。知の合理化をもとめる「知の企業体」でもあり、他方では大学人が必死に「知の共同体」を守り、そだててきたことをわすれてはならないという。(p.165)
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で、これにつづいて掲載が、「大学の「教科書」の昔と今」(pp.168-173)。

この最後につぎのようにある。

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最近の授業は、パワーポイントやビデオを併用しながらおこなっている教師も多い。だから、こうした視聴覚教材とも連動した、CDやDVDつきの新しい教科書があらわれてもよい時代となった。日本の大学の教科書は長い停滞の時代を経て、大きな改革の時代を迎えつつある。学生本意の教科書市場がみえてきたのである。(p.173)
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個人的な感想としては、やや楽観的にすぎるかな、と思ってしまう。だが、これも、分野にもよるにちがいない。特に、語学教科書は、このような方向に向かっていることは確か。

あくまでもオーソドックスな、旧来のアカデミックなスタイルにのっとったレポートや論文の書き方、あるいは、パワーポイントを使ったプレゼンテーションの方法、これらについての教科書は、まだまだこれから、という気がする。(今の学生に、論文や発表として、もとめるのは、独創性なのか、形式的なルールなのか、このあたりの基礎的議論が必要であろう。大衆化した大学教育のなかで、旧帝大のようなレベルで「卒論」をもとめるのは、無理がある、と私は思う。)

ビジネス関係のパワーポイントの使い方のマニュアル本は、たくさんある。しかし、特に人文学系の学生を対象とした、パワーポイントの使い方のテキストは、ほとんど無い。学生にパワーポイントを教えるための、パワーポイント教材、この種のものが無いわけではない。だが、うっかりすると、それこそ、はてしない「下流化」をまねく。場合によると、教室が、パワーポイント映写の劇場(無論、学生は、途中での入退出自由)になりかねない。

當山日出夫(とうやまひでお)

『内村鑑三全集』とオンラインシラバスのことなど2009-01-07

2009/01/07 當山日出夫

昨年から、かかわりを持っているのが『内村鑑三全集』のDVD化と、その公開(販売)。データの見本はもらってあるのだが、ここは、どうしても、自分自身で、全集を持っていないことには、話しにならない。

このような感覚は、「ふるい」のかもしれない。しかし、ある資料・文献のデジタル化にかかわる以上は、そのリアルな実物について、よく知っておく必要がある。

ということで、とにかく、インターネットで探して、全集を買うことにした。

とどいたはいいのだが、もう、持つのは無理。むかし、学生のころであれば、段ボールのミカン箱ひとつぐらいの本は、軽々と(?)はこんだものである。でも、ふりかえってみれば、これまで、ひっこしといえば、本の移動。そのたび、腰をいためてきたような気がする。

次にひっこす時には、本をどうしようか。そろそろ、本格的に考えないといけない。でも、その前に、『内村鑑三全集』を、置いておく場所を考えないと。

今日は、半日かけて、次年度のシラバスの入力。やはり、オンライン化すると、全体の通覧がむずかしくなる。学生にとっても、自分の勉強している分野の全体的な位置づけを確認する意味で、冊子体のものがあった方がよいだろう。他の学科や専攻のことを知っておくというのも、重要な「教養」のひとつであるにちがいない。

當山日出夫(とうやまひでお)