デジタルのエートス2009-02-03

2009/02/03 當山日出夫

『デジタルネイティブ』という言葉が氾濫している。(どっかで、見たような言い回しであるが)。私は、この言葉に100%賛成するわけでも、反対でもない。そういうひともいるでしょうがねえ、でも、みんながそうういわけではないでしょう……という、あたり。

この前の日曜日の『朝日新聞』の読書欄(う~ん、いまどき、朝日の日曜の読書欄をチェックする人間など、時代遅れもいいところかもしれないが)に、内田樹の『街場の教育論』『昭和のエートス』が、紹介されていた。

『昭和のエートス』というのは、非常に魅力的である。完全に世代論できってしまっているわけではない。モザイク模様のように、人々の生き方を見る。そうすると、今、生きているひとたち全体は、おおむね世代ごとに、なにがしからの、色の濃淡があり、一見すると階層的な様相をしめす。

この意味で言えば、「デジタルのエートス」という発想で見てみることもいいかもしれない。古くは、「ダイナブック(アラン・ケイ)に「ゆめ」を見た時代から、今の、「デジタルネイティブ」をつらぬく、何かがある。

強いて言えば、コンピュータに対する「愛」かもしれない。そして、今、「デジタルのエートス」は、「ミーム」のように、自然淘汰を生き延びて、世界にひろまりつつある。

(注)「ミーム」は、リチャード・ドーキンンス(『利己的な遺伝子』で有名)による。人間社会における、文化的な遺伝子のようなもの。

當山日出夫(とうやまひでお)

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