新常用漢字:文字の理念と規格と規範(2)2009-02-11

2009/02/11 當山日出夫

昨日の続きである。

当用漢字が常用漢字になったとき、
・「制限」から「目安」になった
・字種が増えた
・しかし、にもかかわらず、固有名詞(人名・地名)は依然として対象外であった

私は、この時を、リアルタイムで経験している。大学院のとき。あまり、どう変わったという実感は、無い。まあ、実際に勉強していたのが、『白氏文集』という、どう考えても「常用漢字」では無理な世界の文献であるので、文字が増えることのありがたみは、無かったということになる。

ただ、ひとつ記憶に残っていることがある。新常用漢字になって(あるいは、その案が発表されたとき)のことであったか。漢字制限の立場の人の書いた文章に次のようにあった・・・すでに、当用漢字で新聞などはほとんど書けている、それに、あらたに字種を加えるとは何事であるか、より簡略な日本語表記という当用漢字の理念に反するものである・・・概略、このような内容であったと記憶する。

だが、これは、循環論であることは、すぐに分かる。当用漢字に制限して書いていたからこそ、当用漢字で書けていたのである。

以下、個人的な経験である。

拡張新字体については、違和感はない。このあたり、東洋の古典籍類を勉強する学生であったからこそかもしれない。昔の文献の方が、拡張新字体をはるかに越えた、「変な字」をたくさん使っている。ここでは、康煕字典体が「正しい」という意識を持ちようがない。

ただ、康煕字典は、文字のアイデンティファイのために便利。この文献のこの変な字体の字は、康煕字典では、この字なのである、ということで、文字の確認のツールであった。康煕字典記載の字体を媒介として、他の漢字辞典類を参照する。康煕字典を権威として考えた記憶はない。(この意味では、情報通信のための文字の規格票、つまり、JIS C 6226、にきわめて近い性格のものとしてつかっていたことになる。)

そして、パソコン(PC-9801)を使い始めて、いわゆるJIS漢字とつきあうことになる。そこでも、文字の正しさということはあまり気にした記憶がない。(まあ、写本における、明らかな「誤字」というのはある。しかし、それは、規範・標準に照らしたものではなく、単なる筆写のミスである。)

つづきは、また後で。

當山日出夫(とうやまひでお)

絵文字はユニバーサルデザインか2009-02-11

2009/02/11 當山日出夫

絵文字について考える。師さんのブログで、主な論点は紹介されている。

もろ式:読書日記
http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20090208/p1

すでに論じられているのならよいが、私の立場として、すこし気になったこと。それは、絵文字は、ユニバーサルデザインであるか、どうか。

端的に言えば、視覚障害の人にとって、コミュニケーション阻害要因にならないか、どうかである。
・点字に変換可能であるかどうか。
・音声読み上げソフトで、どう音声言語化するか。

文字は、それが「かたち」を持った瞬間に、視覚表現となる。純粋なテキストに、プラスなにがしか、が加わる。そして、このプラスなにがしか、の部分にあまりに大きく依存した場合、視覚障害者にとっては、コミュニケーションの阻害要因になる。

視覚芸術であるならば、いいかもしれない。たとえば、「書芸術」。しかし、通常の、言語(書記)によるコミュニケーションである。そうであるならば、ユニバーサルデザインの視点も、絵文字について考慮すべきではないか。

當山日出夫(とうやまひでお)


土方巽2009-02-11

2009/02/11 當山日出夫

今日(2009/02/11)は、もうあと1時間ほど。

午後、京都に行って、

土方巽・舞踏フィルム上映 in 京都 | Butoh Screening in Kyoto: Rediscover HIJIKATA Tatsumi
http://d.hatena.ne.jp/p-butoh/20090203

を見てきた。先ほど帰った。これは、必見の価値有り。上記のURLを見てもらえれば分かる。明日、本番が、京都大学である。もし、たまたま、このブログを見て、興味のある人は、是非。

土方巽の舞踏に興味はなくても、人間の身体動作、映像表現、あるいは、規範・規格とはなんであるか、という関心からみて、絶対に損はない。しかも、昨日(2009/02/10)、土方巽のお弟子さんの実演を撮影した映像も見られる。通常の土方巽の映像を見るだけではない。

詳しい、今日の感想については、後ほど。

當山日出夫(とうやまひでお)