新常用漢字:文字の理念と規格と規範(3)2009-02-12

2009/02/12 當山日出夫

昨日からさらに続ける。

個人的な感想としてであるが、パソコン(PC-9801)を使い始めて、困ったことがある。

コンピュータ(PC-9801 M2)は、JIS C 6226(1978)
プリンタ(NM9300S)は、この83年版

どういうことがおこるか。簡単に言えば、ディスプレイで見えている字と、プリンタで出る字が違う、のである。いま、0213(04)をめぐって起こっている現象を、その昔、リアルに経験したことになる。

このような混乱した状況のなかで考えたことは、
・当該文献(白氏文集や和漢朗詠集)で使用の文字に近い字があるかどうか
・JIS規格内の異体字をどう処理するか
である。無い字は、外字処理になるが、それは別のことである。

現在の漢字辞典に書いてある字が正しい字である。おおむね、この意見には、同調できるのだが、しかし、100%賛成とはいかない点がある。実際の、平安時代・鎌倉時代の文献では、漢和辞典の字(=康煕字典体)を、使っていないからである。

正字体(いわゆる康煕字典体)が使えるかどうかは、確かに重要である。しかし、それだけでは、問題は解決しない、という分野で勉強してきた。漢字については、『康煕字典』(や、その他、現代日本の漢字辞典、大漢和・新字源など)がある。しかし、それと、同時に使用している、片仮名や平仮名についての、変体仮名は、どうであろうか。「ただしい変体仮名」というのは、あり得るだろうか。

最近の事例では、「さいたま」の「さ」の字をめぐる件がある。

漢字についての、正しさ・規範をめぐる議論がある一方で、仮名のことは、忘れ去られているごとくである。(ただ、タイポグラフィの面で重要であるとの認識は持っている)。

なぜ、「正しさ」の議論の対象が、漢字の字体に集中してしまうのか。その前提には、日本語の表記の問題があるはず。しかし、日本語の「正書法」の議論は、まず目にすることがない。最近では、『漢字の未来 新版』(野村雅昭)ぐらいか。

日本語の表記を視野にいれない漢字論には、あまりつきあいたくない、というのが、今の気持ちでもある。この視点では、正字・正仮名、という方針は、(歴史的観点からはどうであれ)、ある意味でスジがとおっていると思う。(なお、個人的には、反対ではあるのだが。)

當山日出夫(とうやまひでお)