機関リポジトリの理想を語る2009-03-15

2009/03/15 當山日出夫

松田さんの「松田清のtonsa日記」2009年3月8日
機関リポジトリ
http://d.hatena.ne.jp/tonsa/20090308/1236531666

この記事には、すでにコメントを書いた。
このブログの3月11日
デジタルは人文学の衰退か(1)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/03/11/4167990

ただ、これにさらに追加してすこし書いておく。

私の希望を言えば、機関リポジトリであれ、文化資源のデジタル化において画像をともなう場合、どの程度の精度が必要か、議論の必要がある。デジタル化は、
・閲覧を容易にするため
・実物の保存のため
二つの目的がある。デジタル画像で分かる範囲のことは、実物をみなくてもよい、という程度の精度が必要。場合によると、実物を見るより、高精細画像の方が、細部が観察できる場合もある。

しかし、質感などは実物でないとわからない。教育掛図でいえば、実際の大きさ、紙の質、それから、重さ(大きなものになれば、かなりの重量になるはず)など、実物を見てこそ分かる。

機関リポジトリについて、まず、必要なのは、
・出来ることから始める、そして、そのことには賛意をしめす
・現実がどうであれ、理想をきちんとかかげる。学術情報のデジタル化について。
・技術についての基本方針を明確にする。画像データであれば、最低限の解像度、色空間の定義、など。

ということだろう。

「紅」から「かりん」を見て、水野眞理さんの『文系世界の経験から』にはこうある。引用するならば、(p.5)

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さて、このように書いていると、そういうお前の論文はどうなんだ、といわれそうです。そういうときにはこのエピソードを引きましょう。桂米二というベテラン落語家が「[弟子には]自分の理想を教えているが、実際の舞台では私もでけてへん」と恥じたことに答えて、さらにその師匠である桂米朝がこう言っています。「その通りや。えらそうに言うほどできてないとわかってても、教えなあかんことはあるんや」と(朝日新聞2008年9月2日)
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識別子は、
http://hdl.handle.net/2433/68939

機関リポジトリについても、その理想を語るべきときではないかと思う。(たとえ、「予算」という現実がどうであるにせよ。)

當山日出夫(とうやまひでお)

コメント

_ 松田清 ― 2009-03-15 18時03分15秒

数年前になりますが、静岡県立中央図書館葵文庫の四大洲新世界新地図帳の高精細画像を、所蔵館と協力して、そのHPで公開しました。ご参照下さい。

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