『病の起源』睡眠時無呼吸症2009-05-05

2009/05/05 當山日出夫

『病の起源』1・2.NHK「病の起源」取材班(編).NHK出版.2009

ゴーギャンの作品に「われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか」というのがある。いまの「われわれ」はどのようにして今のごとくあるのか。

昨年のNHKの番組を本にしたもの。以前、このブログでも、すこし触れたことがある。しかし、順番に読んで感想を記していってみようと思う。この本(2冊)で言及してあることは、いわゆる「病気」ではある。しかし、細菌やウイルスによる病気ではない。人間が、進化の過程で、やむなくそうなってしまった、まさに人間の存在にかかわることである。

第1巻は、睡眠時無呼吸症、骨と皮膚の病、腰痛、からなる。まずは、睡眠時無呼吸症、から。

論点は、多岐にわたる。睡眠時無呼吸症による、昼間の眠気の問題としてまず提起される。確かに、現代社会において、昼間の時間、眠くなってしまう、というのは「こまる」。だから、「病」ということになる。その対処法も、いろいろ考案されている。

だが、同時に考えなければならないのは、人間の無呼吸症という危険をおかしながらも獲得したものがある。それは、言語(音声言語)である。どこまで、「言語」が人間にとって、生得的なものであるか、これは、言語研究においても、さまざまに議論がある。

私個人の考えることとしては、先天的な聴覚障害の人であっても、言語運用能力はある、ということから、「言語=音声言語」に限定して考える立場には、賛成しない。

とはいえ、人類が「音声言語」を獲得したことの意味は、人類史において、画期的なことであることは確か。

ところで、『動的平衡』(福岡伸一)には、興味深いエピソードが登場する。ゾウとクジラの話しである。通常の人間の可聴領域よりも低い音域で、ゾウはコミュニケーションしている。そして、ゾウとクジラが、「はなし」ができる。

また、イヌは、人間よりもはるかにするどい耳を持っていることは、よく知られている。

ここで私は次のような疑問を感じる。なぜ、人間は「音声言語」を獲得したとき、どの範囲の周波数の音を可聴領域とし選ぶことになったのか。その必然性は、いったいどこにあるのか。自然界にあるさまざまな音のなかから、人間が選んだ音の範囲と感度の意味は、いったい何であるのか。

これは、音のみならず、光(色)にもあてはまる。

當山日出夫(とうやまひでお)

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