『清水義範ができるまで』2009-05-31

2009/05/31 當山日出夫

清水義範.『清水義範ができるまで』(講談社文庫).講談社.2007.(原著は、2001.大和書房)

やっと、ちくま文庫の「パスティーシュ100」がおわったので、読む。中に書いてある、つぎのような箇所は同感。

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読んでいない本は山ほどある。本を読むという習慣を持っているということは、読んでいない本の、さあいったいいつ読んでくれるんだという圧迫にさいなまれて生きていくということなのだ。(p.97)
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なお、この本に所収の「電化製品のころ」も、ぜ~んぶ、「ああ、そういえば、あんなふうだったなあ」とわかってしまう。まったく、清水義範について語ると、歳がばれるのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

ネットノムコウノの学術出版2009-05-31

2009/05/31 當山日出夫

直接の情報源は、笠間書院。
http://kasamashoin.jp/index.html

大学出版部協会
http://www.ajup-net.com/index.html

この『大学出版78号』が「特集:ネットノムコウの学術出版」
http://www.ajup-net.com/web_ajup/078/78web.shtml

これに「ARG」の岡本真さんが、

「インターネットの現在と未来、そして学術書の現在と未来」

というタイトルで書いている。
http://www.ajup-net.com/web_ajup/078/78T1.shtml

最後の問題提起にある、学術書出版の統合については、いろいろ意見があるだろう。特に、最近に、大日本印刷を中心とした印刷・出版・販売(ブックオフまで)を視野にいれると、なかなか難しい問題があるかと思う。

ともあれ、一読の価値有りである。とくに、『国文学』休刊のタイミングとしては、是非、読んでおきたい。

當山日出夫(とうやまひでお)

『国文学』休刊:国文学で何が企画できるか2009-05-31

2009/05/31 當山日出夫

雑誌『国文学』休刊については、新聞(朝日、読売、毎日)もとりあげている。私が見た限り、朝日新聞(大阪版)は、かなり大きなあつかいであった。これは、異例なほどとも感じる。

いまのところ、同業(?)で、このことに意見を表明しているのは、私の見た範囲では、

笠間書院 5月29日 国文学休刊、インターネット界の反応まとめ(2009.5.29・三版)
http://kasamashoin.jp/index.html

ひつじ書房
茗荷バレーで働く編集長兼社長からの手紙―ルネッサンス・パブリッシャー宣言、再び。
学燈社「国文学」休刊 モノローグから抜け出す
http://d.hatena.ne.jp/myougadani/20090529

いろんな意見があるだろうが、うがった見方をすれば、もう「国文学」という枠の中で企画を考えるのにつかれた、というところかもしれない。

最近の号の特集をみると、
学燈社
http://www.gakutousya.co.jp/contents/list/index.html

時代小説の味わい方
風土記を読む
青鞜の時代、女性の時代
流人の文学
本当は知らない韓国
再読プロレタリア文学
映画文学
「萌え」の正体
おのまとぺ
教科書徹底研究
文学の中の死
地方の文学
落語を楽しむ
翻訳を越えて
ケータイ世界
太宰治とは誰か
早稲田と慶應
絵で読む源氏物語
平家物語 世界への発信
万葉の恋歌 ケータイ短歌の時代に

確かに魅力的な企画ではある。しかし、あえていえば伝統的な国文学の研究にかかわるのは、せいぜい、風土記・プロレタリア文学・太宰治・源氏物語・平家物語、ぐらいであろうか。

一方で、「ケータイ」とか「萌え」とかあって、読んでみようとおもう国文学研究者がどれほどか。いや、ざっくばらんにいって、「ケータイ」や「萌え」をメインのテーマにして、「業績」になる文学研究になるかどうか。

このようなテーマであれば、はっきりいって『ユリイカ』に勝てない。また、同時に、古風な国文学研究者からは見放されてしまう。若い人にとっても、興味はあっても、「業績」に結びつかないテーマ。

ところで、NHK出版の『思想地図』の第3巻「アーキテクチャ」、さっそく広告を見て注文してしまった。こういう私のような人間は、例外なのかなあ、と思ったりする。

當山日出夫(とうやまひでお)

『情報歴史学入門』その32009-05-31

2009/05/31 當山日出夫

『情報歴史学入門』の感想のつづき。
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2009/05/27/4325991

さて、もし、『情報歴史学入門』を実際に授業でつかうとすると、つまり、教科書としてつかうとすると……どうしよう、と(私の場合)考えてしまう。つまり、それほど、あつかっている幅が広い。

まずは、「概論」として、半期、または通年で、ざっと説明する。「オントロジ」が何であるか、1時間の授業でわかるはずはない。しかし、情報学的に人文学を学ぶには、「オントロジ」という「ことば」「概念」を知っておかなければならない、ということがわかればいい。

まず、このレベルの授業が必要。できれば、学部の2年ぐらい。

そのうえで、個別に、2年の後期か、3年から、
・データベースのリレーショナル関係とは
・テキストマイニング
・形態素解析
・XML
・正規表現
・オントロジ
・デジタル画像データ
・GIS
・デジタル文字論
・統計学
など、個別の科目を設定する。これも、半期か通年で。

ということになるだろうか。もちろん、これと並行して、本来の人文学(歴史学であれ、言語研究であれ、文学研究であれ、ポピュラーカルチャー研究であれ)の授業が、進行する。

というような枠組みだろうなあ、と考える。

大学院になってから、急に、「人文情報学」「デジタル・ヒューマニティーズ」と言われても、とまどうだけだろう。学部レベルで、基礎的な発想と、基本的教養(リベラルアーツ)が身についていないといけない。

當山日出夫(とうやまひで)