『精神科医がものを書くとき』の「箴言知」2009-06-03

2009/06/03 當山日出夫

昨日から、『精神科医がものを書くとき』をひもといている。この本、冒頭の一節がいい。

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世界をできるだけ単純な公式に還元しようとする宇宙論や哲学あるいは数学と、キノコにはまだ未知の種類が数千種もあるという、世界の多様性に喜びを見出す博物学と、学問にも両極があることを知ったのは、学生時代であった。
(p.10)
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いわゆる、「文系」「理系」ではない、こういう考え方もある。ナルホド。で、私はどちらかといえば、もちろん、「博物学」の方。でも、言語を研究していても、前者のひともいる。文法論を専門とするひとたちである。

とはいいながら、「文字」というものを、なんとか、エレガントなモデルでとらえられないかとも思う。(このこころみは、ある。東京大学の白須さんの研究など。)

『精神科医がものを書くとき』、「論」として読むよりも、「箴言」として読む。その箴言の意味するとことは、とても奥深い。

文庫本の解説(斎藤環)につかってある「箴言知」、いい言葉だと思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

『放浪記』2009-06-03

2009/06/03 當山日出夫

森光子の国民栄誉賞、というわけでもないが、本棚から、『放浪記』(林芙美子)をとりだしてきて、再読。いや、再々々々・・読、ぐらいになる。

確か、高校のときの国語の教科書にのっていた。

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その店先には、町を歩いている女とは正反対の、これは又不健康な女達が、尖った目をして歩いていた。
(p.11)
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「教科書」には、注がついていなかった。しかし、授業中に先生が、この女性は娼婦であると解説を加えてくれていたのを、記憶している。

林芙美子、その評価はいろいろだろう。まずは、『放浪記』の作者。近年では、『林芙美子と昭和』(川本三郎)、そして、ポストコロニアリズムからの林文子論。

とはいいながら、『放浪記』はいい作品である。たしかに、現在の価値観からすれば差別的な表現はたくさんあるのだが。私の手元にあるのは、新潮文庫、2002(平成14)年、第42刷(改版)。「現在の人権感覚では~~~」などの、注記はついていない。

余計なことだが、学校へ行けなかった子供達が普通であった時代。これは、そんなに昔のことではない。

當山日出夫(とうやまひでお)