今日もアート・ドキュメンテーション学会2009-06-06

2009/06/06 當山日出夫

昨日は、アート・ドキュメンテーション学会。実際には午後からであるが、たまたま、両方にかかわっている、つまり、学会側(JADS)と開催校側(立命館GCOE-DH-JAC)に関係しているので、早い目に行って準備のおてつだい。(と、いっても、ほとんど何にもしなかったが。)

今が、転換点だろう。いくつかの、大きな構想がある、
・デジタルミュージアム
・メディア芸術センター
・国会図書館の大規模デジタルライブラリ

ところで、この学会、比較的、私の、先輩・後輩がいる。(日本語学会に行くとひとりぼっちであるのだが。)別に、アート・ドキュメンテーション学会の中で、三田会をやってもしかたがないけど、しかし、なんとなく、気が楽になるところはある。

もう、卒業して25年をはるかにすぎてしまっている。125期。

さて、今日は、立命館の若手研究者による発表セッションがある。期待したい。

當山日出夫(とうやまひでお)

JADSからMLAへ、カギは「標準化」2009-06-07

2009/06/07 當山日出夫

2009年6月5日(金)6日(土)
アート・ドキュメンテーション学会(JADS)が、立命館大学GCOE(DH-JAC)と、共同で開催。(両方に関係していながら、この関係、もひとつよくわからない。いわゆる「共催」ともすこし違う。ま、無事に終わったことだし、いいか。)

個別の発表については、ふれる余裕がないし(都合で、一部、聞いていない発表もあるので)はぶくとして、全体的な印象をすこし。

MLA(博物館・図書館・文書館)の連携が必要。その基盤には、デジタル技術が必須。

このとき、重要なのは、最先端の技術の動向も大事であるが、それにのみ目を奪われてはいけない。コンピュータを使うと、こんなことができますよ、で人目をひこうとする時代は、終わりであると思う。これからは、すでにある技術をつかう、発想の問題。だれのために、なんのために。

これから、MLA連携をすすめるとするならば、中核になるのは、おそらく「L(図書館)」であろう。現時点で、最も相互の連携がうまくいっている分野(すくなくとも日本においては)。また、何よりも、従来の「知」の蓄積は、基本的に「書物」を軸にある。

そして、何よりも重要なのは、「標準化」という考え方。これを、どうみんながうけいれるか。端的に言えば、「自分がひとつ我慢する」そうすると、「みんなが倍にしあわせになれる」、とでも言えるだろうか。

デジタルコンテンツの共有・流通・蓄積・継承のための標準化、これを受け入れる発想を持ちうるかどうか。

それにしても、他の学会で顔なじみの人もいれば、なぜこの人とこの学会で顔を合わせるのか、と思うひともいる。人文学研究におけるコンピュータ利用の世界、確実にひろがりをみせていることは、確かである。

當山日出夫(とうやまひでお)

国旗と国家と言語と絵文字2009-06-07

2009/06/07 當山日出夫

ARGで、これまで、何度か指摘されている問題。HPの作成において、「言語」を「国旗」であらわすことの是非。

この問題については、「絵文字」をめぐる論議でも展開されている。

小形克宏さん
絵文字が開いてしまった「パンドラの箱」第4回--絵文字が引き起こしたUnicode-MLの“祭り”
http://japan.cnet.com/column/pers/media/story/0,2000058034,20394318-4,00.htm

もじのなまえ
http://d.hatena.ne.jp/ogwata/20090604/p1

當山日出夫(とうやまひでお)

大学という特殊な職場でのインターネット2009-06-08

2009/06/08 當山日出夫

この前のJADS(アート・ドキュメンテーション学会)のとき、どこかの雑談でのこと。

昼間、インターネットに自由にアクセスできる職場は限られている。

いわれてみて、ナルホド。私の場合、ほとんど自分の書斎からしかアクセスしない。~~ac.jp のアカウントはもってはいる。これは、学生との連絡につかうのが主な利用。こういうのは、例外だろう。

普通の企業などであれば、職場からのインターネットへのアクセスは制限される(あるいは、ログが残る)。昼間、自由に、学会情報にアクセス、メーリングリストに返信、というわけにはいかないという場合が多い。

インターネットは、すべての時間に、自由に、というわけではない。これも、また、今の日本社会では、一つのあり方だと確認した次第。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』378号の感想2009-06-09

2009/06/09 當山日出夫

『ARG』378号を読んで。ま、無事に、岡本さんも日本に帰ってきたようだし、これからの活躍に期待したい。

ところで、仙台での「ARGカフェ」であるが、どうにも都合がつきそうにない、残念。

たいてい、学会というと京都か東京、というふうに、(私の場合は)なっている。地方開催の場合、その地域の人たちが、気楽に参加してくれて、交流の場をつくれる。この意味で、情報処理学会のCH研究会が、日本全国各都道府県で研究会を開催してきた、というのは、今になって思えば、英断であったといえる。

いくら、ネットワークの進んだ時代とはいえ、人と人とが直接にあって話しをする機会を大切にしたい。デジタルの時代だからかこそ、重要なのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

定額給付金はライフリンクに寄付しました2009-06-10

2009/06/10 當山日出夫

いろいろ、とりざたのある定額給付金。私の使い道を記します。

NPO法人 ライフリンク(自殺対策支援センター)
http://www.lifelink.or.jp/hp/top.html

ここに、寄付しました。

このようなことは、あまり表に出さないことであるかもしれません。しかし、ライフリンクの意図に配慮して、あえて、ここにこのことを明記します。

當山日出夫(とうやまひでお)

学会の日程調整など、「コーヒーハウス」に期待する2009-06-11

2009/06/11 當山日出夫

もうそろそろ、私の手帳には、年末ぐらいまでの、学会・研究会の日程がはいりはじめている。

いまの時代、これほど、いろんな学会・研究会があると、開催日程が難しい。重複してしまうとどうにもならないし、また、週末ごとに移動というのも、時間的にも、経済的にも、苦しい。可能な限り相互に調整して、ということになる。

関係する学会・研究会のメンバーは、実は、相互に人脈がつながっている。これまで、個人的人脈、それに、会場の都合で、学会・研究会の日程が決まってきた。もし、相互に調整できるものならば、それにこしたことはない。

こういうことは、「これは、この学会・研究会の独自の判断だ」とせずに、できれば、柔軟に相互に連絡しあうようにした方がいいと考えている。そのためには、完全に、内部の運営のための連絡と、半分公開したような場所での話題提供の場があってよい。

この意味では、ブログのシステムなどは、適切だろう。だいたいこんな日程で考えていますが、他の学会の様子を知っている人は教えて下さい、連絡ください、という相互の情報交換の場。「コーヒーハウス」の思想である。

ARGの法人化に期待するところの一つに、このような場として機能してくれればというのが、個人的な思いとしてはある。

さて、『思想』のグーグルについての論考を読むことにしよう。

當山日出夫(とうやまひでお)

『思想』とグーグル2009-06-11

2009/06/11 當山日出夫

『思想』(2009年6月号、1022)に掲載のグーグル関係の論文を読もうと思って、まず、グーグルを検索。というのは、

「グーグルと書物の未来」.ロバート・ダーントン(高宮利行訳)に、まず、前文がある。そこには、

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本稿掲載の準備中、原論文のフランス語訳からの翻訳が『ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版』2009年3月号に掲載された。(中略)しかし、物質としての永続性をもつ紙媒体での提供を選択し続けている本誌がもちうる役割と機能に鑑みたとき、本稿を掲載することには一定の意義があると判断し、ここに掲出するに至ったことをお断りしたい。(岩波書店『思想』編集部)
(p.173)
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とある。ダーントンの論文とともに、この『思想』編集部の判断もまた、読むべき価値があるものである。該当する論文は以下のURL、

グーグル・ブック検索は啓蒙の夢の実現か?
ロバート・ダーントン(Robert Darnton)
歴史家、ハーヴァード大学
カール・H・プフォルツハイマー記念大学教授および図書館長
訳:逸見龍生

http://www.diplo.jp/articles09/0903.html

當山日出夫(とうやまひでお)

追記 2009-08-29

トラックバックを送る。
ARG
http://d.hatena.ne.jp/arg/20090829/1251531818

心的障碍:「ことば」が社会をかえる2009-06-11

2009/06/11 當山日出夫

「ことば」が社会をかえる、と言って、かつての「八紘一宇」など連想しようというわけではない。ある「ことば」が定着するということは、その概念が社会で共有されるということ。

以前、国立国語研究所の仕事である、難しいカタカナ用語をわかりやすく、ということがあった。今は、確か、病院のことばに取り組んでいるはず。ただ、独立行政法人からの移管の問題で、どうなるか、わからないが。

このとき、二つの考え方がある。

・「ことば」は、所詮、かりのものである。実質的にどうであるかが重要。単なる言葉の言い換えで終わることは無意味である。

一方で、

・「ことば」が定着することによって、その「ことば」のあらわす概念が社会に共有される。たとえば、「バリアフリー」など。カタカナ語はいやだ、という発想もあり得る。しかし、「バリアフリー」という「ことば」で、そのことの意味に、多くのひとが気づく。このことの意義もある。(ここで、「バリアフリー」を出したのは、この「ことば」を事例にした、投稿の意見が、新聞に掲載されたのを記憶しているので。)

「心的障碍」という「ことば」が、社会に定着するかどうか。まずは、自らがつかうことから始めるべきである。(だが、「心的障碍」の人が増えることがあってはならないのであるが。)

「心的障碍」については、
tokujirouの日記
http://d.hatena.ne.jp/tokujirou/20090611/1244676596

當山日出夫(とうやまひでお)

『思想』2009年6月号:グーグル2009-06-11

2009/06/11 當山日出夫

順序が逆になってしまったが、紹介。

岩波書店の雑誌『思想』(2009年6月号、No.1022)で、「グーグル」について、いくつかの論文が掲載。

福井健策 「グーグル裁判」の波紋と本の未来
宮下志朗 作者の権利、読者の権利、そして複製の権利
長谷川一 〈書物〉の不自由さについて
高宮利行 書物のデジタル化
R・ダーントン グーグルと書物の未来

岩波書店 『思想』
http://www.iwanami.co.jp/shiso/index.html

當山日出夫(とうやまひでお)