ブログ論壇:志位和夫からアーカイブズの話し2009-07-01

2009/07/01 當山日出夫

授業で、『ブログ論壇の誕生』(佐々木俊尚、文春新書)を学生と読んでいる。今日は、「第6章 志位和夫の国会質問」のところ。

たいていは、まず、学生(2名)に、簡単にその章の内容を紹介させる。パワーポイントをつかって、簡単に。それを受けて、後は、私が説明、という手順。

で、今日の場合、ま、見ておくかとおもって、ユーチューブで、2008年2月8日の志位和夫(日本共産党委員長)の国会での質問を、教員用コンピュータからプロジェクタで投影。見始めたら、最後まで見てしまった。結局、学生の発表は、来週にもちこし。まあ、いいか。というよりも、まず、実際に見てみることが必要。

残った授業時間内で、話したこと。今般の、公文書管理法の成立のこと。アーカイブズ、記録を残すことの「倫理観」について。

さて、キャノンという会社、企業アーカイブズとして、社員、それどのような雇用の形態であるにせよ、その記録をどこまで残しているか。

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』381号の感想2009-07-02

2009/07/02
當山日出夫

『ARG』の381号については、いろいろ書きたいし、すでに、いろんなところで書かれている。ここでは、私の視点から見て、「この1枚」をあげておきたい。

それは、情報メディア学会での岡本真さんの講演スライドの最後の一枚。

http://www.ne.jp/asahi/coffee/house/doc/jsims(20090627).ppt

この発表のパワーポイントの最後。

研究者への問い-素朴な疑問として
どのような社会を望むのか

問いかけは、この一点につきる。この発表パワーポイントは、必見である。

當山日出夫(とうやまひでお)

学会費は出世払い2009-07-03

2009/07/03 當山日出夫

これは、自分で、HPに入力したので、(なんとなく変な感じではあるが)紹介しておきたい。

2009年10月17日 2009年度秋季研究会
国立西洋美術館

http://www.jads.org/

まだ、発表者を募集の段階。今回は、非会員であっても、グループとしてであれば、発表に参加できる(そのうちの誰かが、会員であれば)。こういう制度は良いと、自分ながら思う。

確かに、今は、いろんな研究会があって発表の場が増えた。これは、自由に発表できる場が多くなったということもある。しかし、その一方で、発表するためには、その「会員」にならなくてはならない、という「負担」が増えることでもある。

アート・ドキュメンテーション学会のような、多方面から人があつまるような学会の場合、たいていの人は、当然ながら、自分の「本家」(?)の学会がある。その学会に加えて会費の負担がある、というのは、特に若い人にとってはつらいだろう。PDや大学院生など、発表の場は必要である。だが、それが、金銭的な負担になってはならない。

学会費は、「出世払い」でいいではなかろうか。

発表するというわけではないが、その学会を維持していくために、会費をはらう。その学会で、次の世代の若い人が発表して、そだっていく。こんなふうに考えることもできる。

出世払いの学会費、なかなかいい発想だと思うが、いかがであろうか。こういうことを考えるようになったということは、そろそろ引退を考える時期が近づいてきたのか。

當山日出夫(とうやまひでお)

何のための学会ホームページなのか2009-07-04

2009/07/04 當山日出夫

今年度から、アート・ドキュメンテーション学会の役員で、WEB担当ということになってしまっている。これは、公開の学会の大会のときに、すでに承認されていることであるので、ここで書いてもかまわないなだろう。

まず、前任者からの引き継ぎがスムーズにいかないのが困る。学会は、常に、定期的に担当者が変わる。そのひきつぎがうまくいくシステムをつくっておくことも、また、HPの運営と別に重要なことである。

ま、それはともかく、実際に、学会のHPを担当してみると、いろんなことを考える。

・いったい、誰が、何のために、このHPを見るのか

このところが、あまり考えられていないように思える。そして、その目的に応じて、デザインし、メンテナンスしなければならない。

さらに、現在では、アクセシビリティ、という視点が重要。何よりも、読みやすく、つくる。この学会のHPでは、どんなことが得られるのか、まず、それが読み取れないといけない。

専門家なら知っている、ではなく、社会にひらかれたなかで、自らの存在意義を、もう一度といなおしてみる必要がある。

『これからホームページをつくる研究者のために』(岡本真)を、再度、読み直してみることにしよう。

當山日出夫(とうやまひでお)

何のための学会ホームページなのか(2)2009-07-04

2009/07/04 當山日出夫

半日つぶしてしまった。

学協会情報発信サービス(国立情報学研究所)
http://wwwsoc.nii.ac.jp/

を、ず~~~~っと、見ていった。人文学系。いろんなのがある。インターネットが普及しだして、15年ぐらい、としてもそれなりに歴史がある。いまではあまりはやらなくなったフレーム構造を保っているところもあれば、非常にシンプルなものまで。

基本的には、学会の行事の開催案内。それがたまっていくと、記録になる。これも、過去10年ぐらいであるならば、そうたいした量ではない。まあ、どうにかなっている、という感じ。これも学会によって様々であるが。

そして、やはり気になるのは、いったい誰のために、何のために、ということ。

学会誌のバックナンバーは、NIIにまかせてしまう。掲載しても、目次ぐらい。では、それ以外に何を「発信」しているだろうか。

発想をかえてみるならば、「~~について調べたい」となったとき、その専門分野の研究者がつくっている学会のホームページというのは、機能しているであろうか。せいぜい「リンク集」というところかもしれないが、「リンク集」を前面に出して、整理して使いやすいようにと配慮しているところは、少ないように思える。

学会というリアルに人があつまる場をつくりながら、ネットの世界では、ほとんど相互の、また、社会に対して、ひらかれていない。このように思えてしかたがない。

ARGが、ARGカフェをステップに新しいプラットフォームを目指すとするならば、それとは逆に、すでにあるリアルな人のあつまりがネットの世界で何ができるか、これからは考える必要がある。

このようなことを考えた。おかげで、『昭和史』がまだ、読み終わらない。

當山日出夫(とうやまひでお)

学会のメーリングリスト2009-07-06

2009/07/06 當山日出夫

書きたいことはあるが、ひまがない。なんで、こんなに、雑多なことばかりしているのか。JADS(アート・ドキュメンテーション学会)のメーリングリスト再構築で、あれこれ試行錯誤。

学会でメーリングリストを作るのは、何のためか。

メールマガジンのような使い方か。であるならば、いっそのこと、「まぐまぐ」でもつかった方がいい。会員外にも、開かれた存在であっていい。でなければ、相互のコミュニケーションか。しかし、会員数が300をこえると、「井戸端会議」のようにはならない。

学会の性格、規模、その目的、これらを総合して、メーリングリストの運用も考えなければならない。

ネットの世界で、学会を新しいプラットフォームにしようとしたとき、いろいろ考えることがある。

當山日出夫(とうやまひでお)

原点は井戸端会議2009-07-07

2009/07/07 當山日出夫

インターネットの時代だ、フラットな時代になった、クラウドが来る・・・といっても、そもそも、インターネット上のコミュニケーションは、所詮、井戸端会議、といって悪ければ、円卓会議のようなものだと思っている。

これは、昔、パソコン通信のときからの持論である。

数名~十数名なら、井戸端会議(円卓会議)も可能。しかし、直径、100メートルもある井戸(でなければ、もう池とか)では、井戸端会議は不可能。個々の井戸端会議と、他のその他の井戸端会議をつなぐシステムが必要。

実は、これが、インターネットではないのか。ネットワークのネットワーク。これが、あまりに巨大になりすぎたので、ゆりもどしがおこって、小さなSNSなどに回帰している。

だが、原点は、井戸端会議(それがバーチャルなところであっても)であることを自覚して、新しいコミュニケーションと、プラットフォームを考えたい。

リアルに人と人があつまる研究会・学会でも、数百人以上になり、また、出来てから一世代もたつと、昔の、井戸端会議の発想が通用しなくなる。

というような懐古譚から、これからのことを考える。

當山日出夫(とうやまひでお)

パワポは見せるだけ2009-07-07

2009/07/07 當山日出夫

もろさんのところで紹介。

もろ式:読書日記
http://d.hatena.ne.jp/moroshigeki/20090707/p1

『あっとおどろく大学授業NG集』
http://www.yamagata-u.ac.jp/gakumu/kyouiku/video.html

まだ、全部みてないが(さっき帰って、とりあえずパソコンを起動したばかり)、この一番目、傑作である。

パワポは見せるだけ、これが原則。

決して、読ませてはいけない。読ませるときは、発表者(学会発表の場合)が、自分でゆっくりと読んでみせる。

當山日出夫(とうやまひでお)

教室というアーキテクチャ2009-07-08

2009/07/08 當山日出夫

いったい何時から日本の学校は、小学校から大学まで、一人の先生が前にいて、ずらっと生徒・学生の机があって、というかたちになったのか(これは、調べればわかるだろう。)

問題は、このような形態の教室における机の配置、教師と生徒の位置関係が、アーキテクチャとして機能すること。本来は、授業・講義をするための配置であったはずである。それが、いつのまにか逆転して、このような机と椅子の配置であるから、このような授業形態になる、というようになってしまう。意識せざるうちに、これはおこる。

学校のコンピュータ教室でも、しかり。なぜ、普通の教室の机の上にコンピュータが載っているだけのデザインのコンピュータ教室になるのか。

学生同士が、(そこに教師も加わって)相互に対話しながら、ものを学んでいくという方向が、ここからは、自然と失われていく。そのことに気づかない。

このことにあえて自覚的であろうとしなければならない。

當山日出夫(とうやまひでお)

山形大学”NHK”WORLD2009-07-08

2009/07/08 當山日出夫

もろさんのところで紹介の山形大学のFDのオリジナルはこちら。

http://www.yamagata-u.ac.jp/gakumu/kyouiku/right.html

ここから、”HNK”WORLDを見ると、う~ん、面白いというべきかどうか。日本語で話す人間に、英語の吹き替えがはいっているので、「余計なことせんでいい」と思ってしまったりする。

”NHK”WORLD
http://www.nhk.or.jp/nhkworld/english/movie/feature16.html

★ブラウザの設定に注意。

當山日出夫(とうやまひでお)