万年筆で字を書きたくなっている ― 2009-11-06
2009-11-06 當山日出夫
別に自慢するほどのことではないが、万年筆は、いくつかいいのを持っている。
むかし、文字を書くといえば、万円筆に原稿用紙、という時代が、私の学生時代であった。やや無理をして、いいのを買ってある。というか、必要だった。一日のうち、過半を机にむかってすごす。つみあげて、十数センチ以上の原稿用紙(すくなめにみつもって)を、大学院の時に、ある仕事で書いた。
朝、入れたインクが、夜には、ほとんど切れかけている、というような分量だった。しかし、そんな時代は終わった。紙のカード、万年筆、原稿用紙に変わって、コンピュータ、ワープロ、エディタの時代である。
こうなると、今度は、ディスプレイ(ナナオ)、キービード(東プレ)が、いいと思うようになる。
一種の、実用品であると同時に、文房具道楽である。(ま、さほど大金を投じるというわけではないし、実用に使うものだから、贅沢とは思っていない。)
そうは言っても、万年筆で字が書きたくなる。昨日、出勤簿のサインでつかったのは、むかしのクロスの万年筆。インクを入れ替えて、使えるようにしようと思っている。(個人でだめなら、専門家に持って行く。)使うインクは、これだけは、昔から変わらない。ペリカンのローヤルブルー、である(4001)。
経験的に言って、よい万円筆は、手がつかれない。微妙な重さのバランスで、手の疲れがまったく違う、という経験をしてきている。
ボールペンは、基本は、クロス。だが、今は、何故か、モンブランを使用。胸のポケットにさしたときの、白い星のマークが、自分で使っていて気に入っている。
現代の筆墨硯紙、これもまた、「文人」「読書人」たるものの、たしなみであろうと思っている。ま、一方で、鉛筆も大好きなのであるが、これはまた、別に。
以上は、半ば、雑談、しかし、文字を書くメディアやツールと、何をどう書くかは、常に関連している。このあたりの話しは、おってのちほど。
當山日出夫(とうやまひでお)
別に自慢するほどのことではないが、万年筆は、いくつかいいのを持っている。
むかし、文字を書くといえば、万円筆に原稿用紙、という時代が、私の学生時代であった。やや無理をして、いいのを買ってある。というか、必要だった。一日のうち、過半を机にむかってすごす。つみあげて、十数センチ以上の原稿用紙(すくなめにみつもって)を、大学院の時に、ある仕事で書いた。
朝、入れたインクが、夜には、ほとんど切れかけている、というような分量だった。しかし、そんな時代は終わった。紙のカード、万年筆、原稿用紙に変わって、コンピュータ、ワープロ、エディタの時代である。
こうなると、今度は、ディスプレイ(ナナオ)、キービード(東プレ)が、いいと思うようになる。
一種の、実用品であると同時に、文房具道楽である。(ま、さほど大金を投じるというわけではないし、実用に使うものだから、贅沢とは思っていない。)
そうは言っても、万年筆で字が書きたくなる。昨日、出勤簿のサインでつかったのは、むかしのクロスの万年筆。インクを入れ替えて、使えるようにしようと思っている。(個人でだめなら、専門家に持って行く。)使うインクは、これだけは、昔から変わらない。ペリカンのローヤルブルー、である(4001)。
経験的に言って、よい万円筆は、手がつかれない。微妙な重さのバランスで、手の疲れがまったく違う、という経験をしてきている。
ボールペンは、基本は、クロス。だが、今は、何故か、モンブランを使用。胸のポケットにさしたときの、白い星のマークが、自分で使っていて気に入っている。
現代の筆墨硯紙、これもまた、「文人」「読書人」たるものの、たしなみであろうと思っている。ま、一方で、鉛筆も大好きなのであるが、これはまた、別に。
以上は、半ば、雑談、しかし、文字を書くメディアやツールと、何をどう書くかは、常に関連している。このあたりの話しは、おってのちほど。
當山日出夫(とうやまひでお)
『「みんなの意見」は案外正しい』の文庫化 ― 2009-11-06
2009-11-06 當山日出夫
さて、きたる22日の、Wikimediaカンファレンス2009、どんな話しをしようか。だが、どんな話しをするにしても、基本となる文献のひとつは、
「みんなの意見」は案外正しい
ジェームズ・スロウィッキー著
小高尚子訳
であることは確かだろう。この本、どうやら、角川書店の単行本が無くなって、文庫本になるらしい。ただ、角川書店のHPでは、11月25日発売予定とある。
http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200805000104
単行本は、すでに持っているが、気になるのは、文庫本化にあたって、「解説」がどのように付加されたか/なしのままか、というあたり。「みんなの意見」をささえるものとして、既刊の書籍情報があるなら、グーグルブックサーチの流れをうけて、集合知をどう考えるか……このあたりに、興味がある。
この種の本、ほんの数年前までは、一部の専門家の本だった。それが、今の時代とはいえ、文庫本化というのは、それだけ、「集合知」についての社会の関心のたかまり、なのであろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
さて、きたる22日の、Wikimediaカンファレンス2009、どんな話しをしようか。だが、どんな話しをするにしても、基本となる文献のひとつは、
「みんなの意見」は案外正しい
ジェームズ・スロウィッキー著
小高尚子訳
であることは確かだろう。この本、どうやら、角川書店の単行本が無くなって、文庫本になるらしい。ただ、角川書店のHPでは、11月25日発売予定とある。
http://www.kadokawa.co.jp/bunko/bk_detail.php?pcd=200805000104
単行本は、すでに持っているが、気になるのは、文庫本化にあたって、「解説」がどのように付加されたか/なしのままか、というあたり。「みんなの意見」をささえるものとして、既刊の書籍情報があるなら、グーグルブックサーチの流れをうけて、集合知をどう考えるか……このあたりに、興味がある。
この種の本、ほんの数年前までは、一部の専門家の本だった。それが、今の時代とはいえ、文庫本化というのは、それだけ、「集合知」についての社会の関心のたかまり、なのであろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
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