Wikipediaと新聞:文化の階層の共存 ― 2009-11-29
2009-11-29 當山日出夫
『ARG』の読書会のようにやっている授業での学生の感想を、以下に転記しておく。Wikipediaと新聞の問題。いわれてみて、私も、なるほど、と思った。たしかに、日本の新聞は、階層的に(あるいは、社会階級的に)分かれていない。地方紙と全国紙のちがいがあるぐらい。広告にまで目をやれば、週刊誌の記事(見出し、目次)まで、掲載ということになる。
以下、転記(※この転記の件については、授業のガイダンスで事前に了解を得てある。)
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外国語版のウィキペディアに比べて、日本語版のそれに大衆文化に関連する項目が異常に多いという。話を欧米諸語版と日本語版の違いに限定すると、私見では、日本では欧米ほど上位文化と下位文化の区別を厳密にしない者が多いためではないか。この傾向は、例えば、特に発行部数の多い新聞や雑誌等に顕著であり、このことは予てから言われているが、教養のある読者向けの記事がこれらのメディアに載ることがままある一方で、まったく大衆的な記事もその隣に平然と同居する傾向がウィキペディアの記事編集の場にまで影響を及ぼしているのかもしれない。
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當山日出夫(とうやまひでお)
『ARG』の読書会のようにやっている授業での学生の感想を、以下に転記しておく。Wikipediaと新聞の問題。いわれてみて、私も、なるほど、と思った。たしかに、日本の新聞は、階層的に(あるいは、社会階級的に)分かれていない。地方紙と全国紙のちがいがあるぐらい。広告にまで目をやれば、週刊誌の記事(見出し、目次)まで、掲載ということになる。
以下、転記(※この転記の件については、授業のガイダンスで事前に了解を得てある。)
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外国語版のウィキペディアに比べて、日本語版のそれに大衆文化に関連する項目が異常に多いという。話を欧米諸語版と日本語版の違いに限定すると、私見では、日本では欧米ほど上位文化と下位文化の区別を厳密にしない者が多いためではないか。この傾向は、例えば、特に発行部数の多い新聞や雑誌等に顕著であり、このことは予てから言われているが、教養のある読者向けの記事がこれらのメディアに載ることがままある一方で、まったく大衆的な記事もその隣に平然と同居する傾向がウィキペディアの記事編集の場にまで影響を及ぼしているのかもしれない。
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