日本のCH ― 2010-03-08
2010-03-08 當山日出夫
先日の「文化とコンピューティング」、AMeeTのWEBマガジンに書かなかったことなど、少し。
CH(人文科学とコンピュータ)の研究会での発言。私のノートによれば、後藤さんからの問題提起となっている。(あくまでも、私のノートから)。
日本は、日本独自のCH(Computer and Humanities)があるのではないか。世界でいうDH(Digital Humanities)とは、違う方向をむいているのかもしれない。日本の場合、芸術、人文地理学、文化人類学などの領域が多いのが特徴。画像データや、モーションキャプチャなどもふくんでいる。テキスト処理のテーマに乏しい。
さて、どうかんがえるか。以下、私見。
日本の場合、言語処理が、特別に独立してしまっている。決して研究がないわけではない。非常にさかんであるといっていいだろう。だが、言語処理研究をやっている人たちが、自分たちの研究分野を、CH(または、DH)と、思ってはいないであろう(と推測される)ところに、問題があるのかもしれない。
実際に、あまり、研究会などでの交流は無いと言っていいだろう。
ちょうど、今日、言語処理学会を開催している。これに、CH・DHにかかわると自称するひとたちが、どれほど参加していることか。このことの是非をここで言ってもしかたない。しかし、このような現実である、ということはふまえておく必要があるだろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
先日の「文化とコンピューティング」、AMeeTのWEBマガジンに書かなかったことなど、少し。
CH(人文科学とコンピュータ)の研究会での発言。私のノートによれば、後藤さんからの問題提起となっている。(あくまでも、私のノートから)。
日本は、日本独自のCH(Computer and Humanities)があるのではないか。世界でいうDH(Digital Humanities)とは、違う方向をむいているのかもしれない。日本の場合、芸術、人文地理学、文化人類学などの領域が多いのが特徴。画像データや、モーションキャプチャなどもふくんでいる。テキスト処理のテーマに乏しい。
さて、どうかんがえるか。以下、私見。
日本の場合、言語処理が、特別に独立してしまっている。決して研究がないわけではない。非常にさかんであるといっていいだろう。だが、言語処理研究をやっている人たちが、自分たちの研究分野を、CH(または、DH)と、思ってはいないであろう(と推測される)ところに、問題があるのかもしれない。
実際に、あまり、研究会などでの交流は無いと言っていいだろう。
ちょうど、今日、言語処理学会を開催している。これに、CH・DHにかかわると自称するひとたちが、どれほど参加していることか。このことの是非をここで言ってもしかたない。しかし、このような現実である、ということはふまえておく必要があるだろう。
當山日出夫(とうやまひでお)
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