電子図書館と知的生産2010-03-17

2010-03-17 當山日出夫

ようやく、明後日の京大人文研の「東洋学へのコンピュータ利用」セミナーの発表資料を、ととのえた。原稿(論文)の方は、かなり以前に出して(送信して)ある。発表のパワーポイントをつくりながら、まとめのところで考えたこと。

第21回 東洋学へのコンピュータ利用
http://www.kanji.zinbun.kyoto-u.ac.jp/seminars/oricom/2010.html

電子図書館、デジタルライブラリと言っても、ただ、本を読むのが、紙の本から、ディスプレイに変わるだけでは、ただ、それだけのことである。そこで、どのような変化が起こるかがとわれる。このとき、いままで、「読む」ということの視点から、主に、電子図書館は考えられてきたように思う。オンライン配信できれば、いつでも、どこでも、読書、ということが可能になる。この観点では、デジタルミュージアムも同様。

しかし、本は、読んだだけで終わるものではない。そこから、さらに次のステップがある。いってみれば、読書は、知的生産のための一つの作業である。

だからといって、純然たる読書のための読書、読書の楽しみを否定しようとは思わない。だが、それだけではない、実用のための読書もある。この実用のための読書という観点から考えたとき、電子図書館はどのようであるべきだろうか。

たとえば、料理のレシピが、Kindle(当然ながら、防水仕様でなければならないだろうが)で、見ることができたなら、などということを考えてみる。

検索も、引用(コピー)も、また、ちょっとした加工もできないような、ただ、画像データだけの電子図書館……これには、私は、正直いってあまり魅力を感じない。もちろん、無いよりあった方がいい。そして、古典籍の場合は、むししろ、きちんとした画像データの方がほしい。

通常の書籍であれば、自分で自由に、検索したり、コピーしたり、加工したりして使えるテキストデータ、これでなければ、あまり意味がない。この視点が、電子図書館の本当の価値だと思う。そして、逆に、このようなことができない、安定した紙の本としての良さが、従来の本において、見いだせるのではないか。自由に加工できる本がある、ということが、逆に、きちんと安定したテキストへの必要性を感じさせる。

『DVD版内村鑑三全集』をつかうとき、紙の本(岩波版の全集)は、かかせない。紙の本の価値を高めるデジタル出版である、と思うのである。

當山日出夫(とうやまひでお)