『文化財アーカイブの現場』2010-05-04

2010-05-04 當山日出夫

この本を読んで、考え方が変わった。そう断言できる。文化財のデジタル・アーカイブ、これもなかなか捨てたものではない。いや、この方向に新しい未来がある、そう実感させてくれる。

『文化財アーカイブの現場-前夜と現在、そのゆくえ』.福森大二郎.勉誠出版.2010

http://www.bensey.co.jp/book/2225.html

そう大部な本ではないのだが、読むのに時間がかかってしまった。それは、読みながら考え込んでしまったから、である。本当に、この考え方でいいのであろうか、しかし、こう考えざるを得ない……このような思いにとらわれながら、考え考えしながら、ようやく読み終えた。

これまでの私の考えを端的にいえば、たかがデジタル複製ではないか、実物の方がいいにきまっている、まあ、このように考えていた。しかし、この考え方が、この本を読んで変わってしまった。デジタル技術を駆使した高精度複製物の製作にこそ、今後の、文化財の継承・保存がかかっているのである、と。

引用し出すとキリがないので、一箇所だけ、

>>>>>

文化財アーカイブの意義を問われると、「存在を忘れないようにするために」と答える。(p.132)

<<<<<

文化財は、人々に知られる存在であってこそ文化財たり得る。その可能性をひきだすのは、高精度のデジタル複製であったり、デジタルミュージアム高精細画像(VR)であったり。

このように著者がいう背景には、ベンヤミンのいうところの複製芸術への深い理解が根底にある、と言えば、だいたいわかる人にはわかってもらえるだろうか。また、複製を作成するにあたっての、データ、メタデータの保存にも、いや、むしろ、これの方に価値を見いだしている。高精度のデジタル複製技術が、従来の文化財(リアル)に、さらなる付加価値をつけて、将来にのこす原動力となる。

アーカイブズ、デジタルミュージアムに少しでも関心のある人には、是非とも読んでもらいたい本である。絶対におすすめ。

當山日出夫(とうやまひでお)

『科学との正しい付き合い方』2010-05-05

2010-05-05 當山日出夫

とても意欲的な本である。だが、ちょっと誤解されかねないかな、という印象のある本。この本、すでにTwitter上では、かなり話題になっている。著者自身が、非常に積極的に、発言をひろってコメントしている。

『科学との正しい付き合い方』.内田麻理香.ディスカヴァー・トゥエンティワン.2010

http://ameblo.jp/marika-uchida/entry-10479372420.html

そこで、あえて、私なりの「牽強付会」な読み方を、すこし記すと、

「科学」「科学技術」「サイエンス」これらの言葉・用語が、著者なりには整理して使用しているのであろうが、全体を通読すると、雑然とした印象がある。一般には、「科学」も「科学技術」も同じようにつかっていいのだろうし、この本の意図としては、それで十分であると読める。

しかし、こまかに注を見れば、「科学」については、

「反証可能性を持つ仮説のみを科学的仮説とみなす」

が、カール・ポパーの言葉として、示してある。(p.277)

私個人の興味関心からするならば、今のように「科学技術」が一体化した時代だからこそ、「科学」について、「理学」の視点と、「工学」の視点と、両方をうまく整理して説明してほしいものだと思ってしまうのである。

だが、この本は、科学哲学の本ではないので、これは、無理な注文というべきか。それよりも、

>>>>>

科学技術で思考停止しない、科学技術をこわがらないメンタリティ。それは、「身近なありふれた科学技術を知る」とことらから生まれるのです。(p.214)

<<<<<

の箇所に代表される、著者の姿勢を尊重すべきだろう。そして、この基本をふまえて、「トランス・サイエンス」(注、p.278)の課題へと、議論がすすんでいくと面白い。この方向での、続編を期待したいものである。

注:トランス・サイエンス。「科学によって問うことはできるが、科学によって答えることのできない問題からなる領域」(p.278)

當山日出夫(とうやまひでお)

『予定不調和』2010-05-06

2010-05-06 當山日出夫

『予定不調和』.長神風二.ディスカヴァー・トゥエンティワン.2010

http://www.d21.co.jp/modules/shop/product_info.php?products_id=741


この本、前に書いた『科学との正しい付き合い方』とワンセットで読まないと、と思う。

『科学との正しい付き合い方』(内田麻理香)

http://www.d21.co.jp/modules/shop/product_info.php?products_id=742

「予定不調和」、この本のメインのテーマは、(私の理解では)「トランス・サイエンス」である。「科学によって問うことはできるが、科学によって答えることのできない問題群からなる領域」、である。

この本はいろんなテーマについて触れている。
スマートドラッグ、遺伝子ドーピング、体細胞由来クローン、遺伝子組み換え食品、デザイナーベビー、ブレインマシンインターフェース、パワードスーツ

なかには、まだ、空想段階のものもあれば、すでに一部実用化されているものもある。それら、旧来の、人間社会の価値観に根底からかかわる問題に、では、どのようにしてとりくめばいいのか。著者は最後にこう述べる、

>>>>>

現在進行形のことを、一つだけ取り出して「それだけ」を見るのではなく、一見関係ないような分野の進歩も含めて総合的にとらえたとき、何らかの解決策があるはなのだ。/そういう意味では、一章一章としてだけではなく、賞をつなげて読んで、考えていただければと思う。(p.270)

<<<<<

また、こうも指摘する、

>>>>>

人々が気味悪くなるような現実を突きつけるのは、確かに、科学が明らかにし、技術ができるようにしてしまう事柄だ。けれど、それは科学が技術の力がなければ覆い隠されていただけで、もともとある気味の悪さなのだ。(p.270)

<<<<<

科学技術の進歩によって顕在化した問題は、もはや科学技術それ自体の内部では、人間社会の問題として対応しきれないところにきている。この観点からこそ、「科学リテラシ」が必要になるのであると考える。

また、これを裏返していえば、人文学的基礎教養の裏付けがなければ、新しい科学技術の提起する問題にも、対応できないということにもなるのであろう。それが、すぐに解決にむすびつくというものではない。人間社会のなかのひとつの文化のありかたとして、科学技術を考える視点の重要性である。

當山日出夫(とうやまひでお)



『科学との正しい付き合い方』(2)2010-05-07

2010-05-07 當山日出夫

さて、『科学との正しい付き合い方』(内田麻理香)の感想のつづきである。私の知見の範囲で、この本について、もっとも批判がよせられた箇所は、事業仕分けにおける、スーパーコンピュータの件ではないだろうか。

この件にかんして、著者は、次のように記している。引用する。

>>>>>

 2009年末の行政刷新会議の仕分け作業で、次世代スーパーコンピュータの開発予算が議題にあげられたとき、仕分け人だった民主党の蓮舫議員が、「(コンピュータ性能で)世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのか」という趣旨の発言をしたのを、テレビなどの報道で知った方もいらっしゃっしゃると思います。
 これに対して、「なんてつまらない質問をするんだ」という非難や揶揄の声が聞かれました。この発言もとは、大半が科学技術の「マニア」たちです。

 その「2位ではだめなのか」という問いは、私は「普通の人のもっともな感覚」「当たり前に感じる疑問」だと思うのです。

(p.243)

<<<<<

私の理解はこうである。

1位でなければならないと主張する人(著者の表現にしたがえば「マニア」)は、日本の科学技術が、世界で1位でなければならない、といいたいのであろう。

だが、これに対して次のように考えることもできるだろう。科学技術は、それ自体で自律する面もあるが、社会のなかで存在が認められてこそ活きる。そのスーパーコンピュータで何をしたいのか、その目的が実現できるなら、それが世界で1位でなければならない必然はない。2位でも可能なら、それでいいではないか。(たぶん、蓮舫議員の「2位ではだめなのか」の発言は、このような趣旨であろうと、私は理解した。)

誰のための、何のための、という部分が抜けおちてしまった議論であると私には思えるのである。この観点からは、著者(内田麻理香)の指摘は正しい。

ただ、一方で、日本がいわゆる科学技術立国をめざすならば、その具体的目標として、世界で1位のスーパーコンピュータという発想も、理解できないではない。しかし、そうであっても、それを何のために使うのかについて、明確な目標が設定されなければ、社会に対して説得力がない。そして、2位の性能であっても、目標が実現できれば、いいではないか。

何のための研究なのか、無条件に自律する研究というのは、もはやなりたたない。これは、人文学でも同じだと思う。(ただ、そうはいっても、何のための研究なのですかといって、こたえに一番困るのが、文学部でやっているようなことかもしれないのだが。また、おって考えていきたい。)

當山日出夫(とうやまひでお)

コメントが文字化けしている2010-05-08

2010-05-08 當山日出夫

『科学との正しい付き合い方』に、コメントが2件。ただし、文字化けしてしまっているので読めない。しかたないので、留保してある状態。

お心あたりの方は、再度、お願いします。(できれば、Windowsマシンからが無難かも。)

當山日出夫(とうやまひでお)

『ARG』424号の感想2010-05-08

2010-05-08 當山日出夫

ちょっと遅れてしまったが、『ARG』424号の感想をすこし。

なんといっても、インターン学生の紹介である。

三津石智巳
有元よしの

このお二人の自己紹介が載っている。まことに初々しい文章である。二人に共通しているのが、筑波大学(知識情報・図書館学類)であり、そして、ともに、ラーニング・コモンズにかかわっていること。

だが、正直言って、ラーニング・コモンズなるものが、私にはよくわからない。なにせ、私の学生のころには、こんなもの、なかったのであるから。(もちろん、大学は、まったく違うのであるが。)

だが、少なくとも学生が主体となった学習の場であることは理解できているつもり。しかも、それが、知識情報・図書館学類の観点から、運営されるとなると、どんなふうであるのだろうか、興味深い。

今回は、二人の簡単な自己紹介の文章であるが、今後は、本格的に、つくばのラーニング・コモンズでの活動報告など、掲載してもらいたいものだと思っている。学生がどのように学んでいこうとしているのか、それを学生の視点から語ってもらうということは、(大学はちがっても)教える立場からして、きっと役にたつにちがいない。

このような、意欲的な学生をうけいれている、「アカデミック・リソース・ガイド」というのは、すばらしいなあ、と思う次第である。ぜひとも、この二人にはがんばってもらいたい。そして、この体験は、将来にいかせると思う。

當山日出夫(とうやまひでお)

『電子書籍の衝撃』2010-05-09

2010-05-09 當山日出夫

佐々木俊尚.『電子書籍の衝撃』.ディスカヴァー・トゥエンティワン.2010

http://www.d21.co.jp/modules/shop/product_info.php?products_id=746

この本については、すでに多くのブログ、Twitterなどで、言及されている。いまさら、私が付け足すこともないだろうと思うので、ちょっと普通とは違った視点から見てみる。

書籍が電子化する……これは、同時に、日本語の表記とメディアの変化でもある。この視点から見るとどうなるだろうか。

言うまでもなく、今、改定常用漢字表をめぐって、議論の最中、というよりほぼ最終段階にきている。この基本にあるのが、日本語のコンピュータ処理、手で書く文字から、打つ文字への変化である。では、このとき、いや、さかのぼって、改定常用漢字表の議論が開始されたときに、今のような電子書籍、具体的には、Kindle、iPad、などのことを、想定していただろうか。ワープロ(コンピュータ)の普及ぐらいの認識ではなかったか、といってもいいかもしれない。

確かに、コンピュータの普及による日本語への影響(特に、文字によるコミュニケーションと表記)は、大きなものがある。また、ケータイの広範囲な利用も視野にいれなければならない。だが、それを、決定づけるものがあるとすれば、その一つとして、電子書籍があってもいいはずである。というよりも、今になって、ようやく、その電子書籍が具体的なものとして、現実に姿を現したという段階にいるのだろう。

日常的に読み書きする日本語の文章に、電子書籍が入ってきたとき、というのを、改定常用漢字表は想定していただろうか。どうも、そのようには思えない。個人的な感想であるが、今後の、日本における電子書籍の方向によっては、日本語の読み・書くという環境が、さらに大きく変わる可能性がある。このことも、考えておかなければならないだろう。

電子書籍を視野にいれて、あまねく存在する「書き手」の存在を、どう考えるか。この視点なし、これからの日本語の表記は考えられないだろう。つまり、改定常用漢字表を決めても、そのときには、日本語のデジタル環境は大きく様変わりしてしまっている、ということである。

電子書籍を書物史・読書史の観点から見ることも必要であるが、視点をかえて、日本語の表記という点からも考えてみなければならないと思う次第である。

當山日出夫(とうやまひでお)

ARG京都ギャザリング2010-05-10

2010-05-10 當山日出夫

昨夜は、ARGの岡本真さんが京都に来るというので、ARG京都ギャザリング。

すでに顔なじみの人もいれば、名前は知っていても、今回が本格的に顔をあわせるという方もいて、楽しかった。全部で20人ぐらいだったろうか。ちょっと席が足りないぐらいだったが、まあ、場所がアイリッシュ・パブであるから、適宜、飲み物を自分で注文して、適当に立ち話というのも、いいものである。

今回の記録更新は、兵庫県立大学の学生さんが、2名参加してくれたことだろう。まだ、1年生とのこと。これは、これに先だって、岡本さんが、兵庫県立大学で講義をしたときに誘ったのに応じてくれた。簡単な自己紹介があったが、まだ、18歳であるという。おそらくこれは、ARGで人があつまったときの、参加者の最年少かもしれない。

まだ、1年にもかかわらず、意欲的に、京都まで出てきて、ARGなどの集まりに参加しようという気概は、高く評価したい。これから、どんな学生生活をおくっていくのか、将来に期待したい。

6時からというので、早い目に家を出る。地下鉄にのりつぐか、京阪にするか、迷って、結局、京阪で祇園四条まで。ジュンク堂など、適当によりみちしながら、お店まで。ついでに、CDを一枚。トワ・エ・モア「フォーク・ソングズ」。2008年のアルバムである。店頭で見て、ついついて手がでてしまうのは、としのばれる話しである。

當山日出夫(とうやまひでお)

DVD版内村鑑三全集記念刊行シンポジウム(予告)2010-05-11

2010-05-11 當山日出夫

DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウム(仮称)、とりあえず、日程だけは報告しておこうと思う。

2010年7月3日 午後
ICU(国際基督教大学)

プログラムなどはこれから。
・純然たる人文学系の研究の立場
・作成の実務にあたった印刷業や出版社の立場
・電子図書館、電子書籍の観点からの展望
だいたい、こんな多様な視点から、考える会にできればと思っている。

詳細がきまったら、ここで報告するようにする予定。

當山日出夫(とうやまひでお)

これからの予定など2010-05-13

2010-05-13 當山日出夫

これからの予定など。(オープンなもの)

5月22日 情報処理学会/人文科学とコンピュータ研究会
大阪大学 ★発表

5月23日 訓点語学会
京都大学

5月29・30日 日本語学会
日本女子大学

6月12・13日 アート・ドキュメンテーション学会
慶應義塾大学 ★役員だし、かつ、発表

7月3日 DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウム
国際基督教大学(ICU) ★企画しているし

一ヶ月先の授業の準備をしておかないと、安心して学会にも出られない状況が、しばらくつづく。上記に書いたオープンなもの以外に、あれこれと研究会など。

當山日出夫(とうやまひでお)