電子書籍の質と将来について ― 2010-07-03
2010-07-03 當山日出夫
今日は、DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウムである。これまでに書いてきたように、内村鑑三についてというよりも、歴史的に価値のある古典とされるテキストを、どのように、電子書籍化していくのか、という観点からの集まりになる。
ただ、画像データではない。全文、テキストとして入力してある。そして、それがPDFとして、自由に利用可能な形にしてある。
もっとも重要な点のひとつは、本文の質の問題であろう。初版・第2版(刷)、それを、さらに校訂をくわえてある。全集に忠実であろうとしながらも、そこで、内村鑑三研究の専門家の目がさらにはいっている。これまでの全集のなかで、もっとも質の高いものになっているはずである。
企画がはじまってから10年にはなる。その間の、コンピュータの文字の規格の変更など、いくつか、問題点をかかえているとはいえ、全40巻を、全文入力した仕事は高く評価されるべきであろう。
そして、それは、将来に残る、次の世代の内村鑑三研究につながるものとして、発展していかなければならない。また、言語研究の資料としても、十分に価値がある。
基本のフォーマットは、PDFである。全集を忠実に入力してあるのが基本。だからこそ、今後の、より自由な利用に、発展の道が拓かれていると見るべきだろう。DVD版ではあるが、自由にHDにコピーしてつかえる。これは、これからの、各種の電子書籍端末にも、場合によっては、柔軟に対応できる可能性がある。
DVDで、PDFで、パッケージで・・・いまの電子書籍の流れからすると、ちょと古いかもしれないが、しかし、だからこそ、時流にながされないで、より長期間の利用にたえるものになっていると考えるべきである。
WEBと融合したファッション雑誌のような電子書籍もあっていい。しかし、それだけではないだろう。のこすべき「古典」というものをどうのこすのか、その貴重な事例となるに違いない。電子書籍は、もっと幅広く考えたい。
ともあれ、今日は、どうなるか。いや、今日だけで終わらせたくもない。さらにこの発展し方向での、電子書籍、古典の良質のテキストと、その長期利用・安定した供給、というところにもっていきたいものである。
良質のデータは、将来にも生き残るということを信じる。
當山日出夫(とうやまひでお)
今日は、DVD版内村鑑三全集刊行記念シンポジウムである。これまでに書いてきたように、内村鑑三についてというよりも、歴史的に価値のある古典とされるテキストを、どのように、電子書籍化していくのか、という観点からの集まりになる。
ただ、画像データではない。全文、テキストとして入力してある。そして、それがPDFとして、自由に利用可能な形にしてある。
もっとも重要な点のひとつは、本文の質の問題であろう。初版・第2版(刷)、それを、さらに校訂をくわえてある。全集に忠実であろうとしながらも、そこで、内村鑑三研究の専門家の目がさらにはいっている。これまでの全集のなかで、もっとも質の高いものになっているはずである。
企画がはじまってから10年にはなる。その間の、コンピュータの文字の規格の変更など、いくつか、問題点をかかえているとはいえ、全40巻を、全文入力した仕事は高く評価されるべきであろう。
そして、それは、将来に残る、次の世代の内村鑑三研究につながるものとして、発展していかなければならない。また、言語研究の資料としても、十分に価値がある。
基本のフォーマットは、PDFである。全集を忠実に入力してあるのが基本。だからこそ、今後の、より自由な利用に、発展の道が拓かれていると見るべきだろう。DVD版ではあるが、自由にHDにコピーしてつかえる。これは、これからの、各種の電子書籍端末にも、場合によっては、柔軟に対応できる可能性がある。
DVDで、PDFで、パッケージで・・・いまの電子書籍の流れからすると、ちょと古いかもしれないが、しかし、だからこそ、時流にながされないで、より長期間の利用にたえるものになっていると考えるべきである。
WEBと融合したファッション雑誌のような電子書籍もあっていい。しかし、それだけではないだろう。のこすべき「古典」というものをどうのこすのか、その貴重な事例となるに違いない。電子書籍は、もっと幅広く考えたい。
ともあれ、今日は、どうなるか。いや、今日だけで終わらせたくもない。さらにこの発展し方向での、電子書籍、古典の良質のテキストと、その長期利用・安定した供給、というところにもっていきたいものである。
良質のデータは、将来にも生き残るということを信じる。
當山日出夫(とうやまひでお)
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