プレゼンテーション2010-12-02

2010-12-02 當山日出夫

さて、そろそろ、次年度のシラバスを書いたりしなければならない時期になってきた。(あれこれ考えて、すこし、出講を整理するところもある。自分のつかえる時間というものをかんがえるようになった。)

ところで、今年度から初めて、次年度もと、思っているのが、プレゼンテーションの実習の授業。要するにパワーポイントの使い方の授業である。

いきなり、パワーポイントを使って発表しなさいといいわれても、とまどう学生も多いだろう。まずは、その「練習」の機会が必要と思う。練習のための練習である。下手でもいい。とにかくやってみる。そこから、徐々にうまくなっていけばいいのである。だが、まずは、とっかかりの授業が必要だろう。いきなり、本番でプレゼンテーションをしなさい、では、いくら今の時代だからといっても、荷が重いだろう。

こちらから、課題(テーマ)を与える場合もある。あるいは、学生の自由なテーマでの発表ということもある。これは、実際にあつまった学生を見ての相談ということになるかとも思う。

経験的にいえば、とにかく回数を重ねると上手になる。それから、自分の好きなことを話しさせると、非常にうまい。(してみると、学会発表などで、いかにもたどたどしいパワーポイントの使い方を見るが、これは、本当に自分の好きなことを、研究として発表していないのかな、とも思えてくるのである。)

その他、パソコン教室のマシンが、新しくなる。もう、Word2003は、つかわなくなる。(これでようやく、自分の部屋のパソコンもひととおり整理できるかと思う。)

だが、パソコンが新しくなって、2007、2010と、MS-OFFICEが共存して、まだ、一部に、2003が残っていて、となると、これまた、面倒でもある。

ともあれ、ワープロの使い方もそうであるが、実践を積み重ねていくしか上達の方法はない。そのとき、大学での授業だから、ひとつだけ気にかけるとすれば、あくまでも、「アカデミックな文書/プレゼンテーションでは」という、位相の限定である。

なにも、普通のパソコン教室と同じことを、大学の教室でやることもないだろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

電子書籍の本など2010-12-04

2010-12-04 當山日出夫

電子書籍の本を二冊ほど。

荻野正昭.『電子書籍奮戦記』.新潮社.2010

津野海太郎.『電子本をバカにするなかれ-書物史の第三の革命-』.国書刊行会.2010

さて、ここ数日、ちょっといそがしい。来週、「じんもんこん2010」で、東京工業大学。ということで、その週末がつかえない。となると、その次の週の分まで、事前に準備しておかないといけない。

読む暇はともかく、机の上においていある。

當山日出夫(とうやまひでお)

私的じんもんこん2010覚書(1)2010-12-13

2010-12-13 當山日出夫

なんだかいそがしくて、ブログを書く時間の余裕もない日々であったが、恒例のごとく、毎年のじんもんこん2010の私的感想など、書いておきたい。

2010年12月11~12日、東京工業大学、である。

11日の朝、9:30からスタートでは、とても、その日の朝に出たのでは間に合わない。前日からいくことにする。特に、初日の最初のセッションで、メタレベルの議論について、まとまってあるとあっては、聞き逃すわけにはいかない。

セッション AB0
人文学におけるデジタル化に関するオープンなメタ議論の意義
-じんもんこん/Humanities Computing/Digital Humanitiesの招来にむけて-
永崎研宣、中村雄裕、後藤真

話としては・・・私の観点からは、特に目新しいことはない。しかし、斬新であると感じるのは、このような発表を、堂々と冒頭に持ってきたプログラムの組み方にあるだろう。

これまでも、「じんもんこん」についてのメタレベルの議論がなされてきていなかったわけではない。いや、むしろ、私個人としては、そのような議論を歓迎してきたところもある。

だが、そのような方向にばかり向かうというわけでもない。メタレベルの議論なんかよりも、実質的に何かを作ることの方が大事・・・という意見・雰囲気がなかったわけではない(私の個人的見聞の範囲内においてであるが)。それが、今回、メタレベルの議論から、シンポジウムをスタートさせるというのは、非常な決断であったのかもしれない。

ところで、東京に行って、宿泊は、いつものとおり、お茶の水。さて、どうやって、東京工業大学まで行こうか・・・いろいろ、地下鉄もできて、目黒からの電車も新しくなって・・・とあるのだが、ここは、一番わかりやすく、山手線で目黒まで、そこから、東急に乗り換え、という行き方でいくことにする。

学生のころ、東京では、目黒近辺にすんでいたが、(そのころは、目蒲線)あまり乗る機会がなかった。それが、いつのまにか、新しい路線になってしまっている。まったく、東京に行くたびに、道にまようのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

ナビの地図が新しくならない2010-12-13

2010-12-13 當山日出夫

今の自動車につけているカーナビの地図の、次年度更新版が出ない(らしい)。買ってとりつけて、まだ、6年目になるのかな。まだまだ、十分につかえる。自動車の方だって、まだまだ、乗れる。

ナビをつけて運転する習慣になってしまうと、ナビも、自動車の重要な性能部品の一つである、ということを実感する。

地図の更新をストップしてしまえば、今後、いったいどうすればいいのか。まあ、もう少し安いタイプの機種で、最新のものに変更するぐらいしか対応策が思い浮かばない。

デジタルデータの、あるいは、デジタル機器の進歩はよいのであるが・・・まだまだ十分につかえるナビが、こうも簡単に陳腐化してしまうとは。ここで、メーカを起こってみてもしかたがない。デジタルデータというのは、所詮、このようなものである、ということを実感した・・・ということになるのであろう。

當山日出夫(とうやまひでお)

私的じんもんこん2010覚書(2)2010-12-14

2010-12-14 當山日出夫

初日は、まず、人文学とコンピュータ利用についてのメタレベルの議論がメインであったといえよう。

先に記したごとく、

人文学にデジタル化に関するオープンなメタ議論の意義
永崎研宣、中村雄裕、後藤真

この他、

招待講演
Digital Humanities: A Collaborative Dicipline
Harold Short

ワークショップ
Dugital Humanities における国際コラボレーション
Harold Short 、 Gerhard Brey 、 下田正弘、Leith Morton

人文情報学(デジタル・ヒューマニティーズ)というのが、独立した学問分野として成り立つのかどうか・・・という観点からは、非常に刺激的な内容のものであった。

総合的に整理するなら、それは、成り立ちうるものである。では、その基盤となるものは何か。方法論への自覚である、ということになるであろうか。

私見としては、人文情報学には、二つの立場があり得ると思っている。

第一に、これからどんどんコンピュータが普及していけば、おのずとすべての人文学領域においてもコンピュータは必須のものになる。自然と、人文情報学というものが生まれてくるのである。

第二に、いやそうではなく、それでもやはり、人文情報学という独自の領域が成立しうるのである。

この二つの考え方が、錯綜していたように思える。そして、後者を主張する場合でも、その基盤が、特にあるというわけではなかったようにも思える。それが、今回のシンポジウムで、ぼんやりとではあるが、輪郭が見えてきたような気がする。

コンピュータを使うことによって達成できることへの、方法論的な自覚をもってとりくむか否か、というあたりになるだろうか。では、その自覚とはどのようなものであるかについては、まだ、議論の余地があるようにも感じるのである。しかし、おおむねこのような方向といっていいだろう。

これを逆の方向から見るならば、コンピュータの利用によって、その方法論について、自覚的であることを獲得し得た研究領域というものが、存在しうるということにもなるだろう。研究対象、方法の、モデル化と言ってもよいかもしれない。

あるモデルをつくって、そこからものを考えていくことを、もっとも苦手とするのが従来の人文学であったとするならば、それに対して、あえて、そのような方向に踏み出すことがあってもよいのではないか。

ただ、そうはいっても、現状(すくなくとも日本の)では、先駆的ないくつかの事例があるにとどまり、総体として、これが、人文情報学であると提示でき得ものが、まだ、確立していない、とはいえるかもしれない。

とはいえ、今後、ものを考える方向性については、ある程度見えてきたような気がする。

當山日出夫(とうやまひでお)

なめくじ長屋2010-12-14

2010-12-14 當山日出夫

あまり話題になっていない(ように見える)のであるが、光文社が文庫版で、都筑道夫の「なめくじ長屋」シリーズを復刊している。まだ、3冊がでた段階。

個人的には、現代の日本のミステリの中に、特筆すべき存在としてあるのだが、読めなくなってしまってからひさしい。(私の書庫の中をさがせば、いろいろとあるはずであるが、まとめてはいないので、みつからない・・・)

この件、Twitterなどでもながれてこない。本屋さんを見ていてみつけた。やっぱり、リアルの書店に、たまには、足をはこばないといけないなと感じる。

今年の年末年始のあいた時間に読む本としては、「なめくじ長屋」と、それから、山田風太郎にしようかと思っている。

當山日出夫(とうやまひでお)

私的じんもんこん2010覚書(3)2010-12-16

2010-12-16 當山日出夫

結局のところ、私の聞いたセッションは(研究発表では)、

A1 応用
B2 語彙分析
A3 デジタルアーカイブ
B4 データベースの活用
B5 仏教学への適用

ということになる。最後のB5のセッションでは、座長(司会)もした。

総じて、これまでの「じんもんこん」の研究発表と大きくかわったという印象はない。従来どおり。よくもわるくも、である。これがこのまま、次年度も継承できれば、それにこしたことはない。(というのは、関係者には知れ渡っていることであるが、CH研究会の今後の先行きはかなり厳しいものがある。)

個々の発表について、言及するのはやめにしておく。(時間の余裕がない。)だが、特に気になったことなどは、追って記していきたい。

次回に。

當山日出夫(とうやまひでお)

私的じんもんこん2010覚書(4)2010-12-23

2010-12-23 當山日出夫

ちょっと忙しくしていて時間があいてしまった。それも、今日の授業で終わる。

さて、一般の研究発表の他に面白かったのは、

基調講演
文化財アーカイブを取り巻く現状と展望
津田徹英(東京文化財研究所)

であった。話しとしては、文化財のデジタルアーカイブにおける、相互の信頼関係の問題、というところである。とにかく、具体的な事例が出てきていたのが、興味深い。

(ここでは名前は出さないが、講演では、きちんと実名を出して発表)、ある文化財の全集、そこから、ある有名寺院に関連する資料がごっそりと抜け落ちてしまっている。つまりは、その全集の出版もとと、寺院との間の、コミュニケーションの不足、相互の、信頼関係を気づけなかったから。

これを、実際の美術全集で、空白になった写真の箇所を、見せられると、なるほど、とおもうのである。

そして、重要だと思うのは、この講演で述べられたようなことが、今後の、人文学とコンピュータ利用の世界のなかで、ますます重要になってくるということである。

文化財の多くは、個人であったり、寺社であったりの、場合が多い。(博物館への寄託などもふくめて。)そこで、まず、必要になるのは、その「所蔵者」の個人・寺社などとの、信頼関係を、どのように構築・維持していくか、ということである。

このことについては、既存の人文学の世界では、それなりのものをこれまでにきづきあげてきている。あるいは、少なくとも、相互に、どのようなルールがあるかの認識は共有できるようになっている、と言ってよいであろう。

そこにコンピュータをつかった人文学研究がはいってきて、さて、どうなるだろう。これまでに、つちかってきた、文化研究の歴史的経緯を、きちんと尊重してくれるだろうか。まずは、このあたりの、相互の、コミュニケーションの場をつくっていくことから必要になってくるのではないだろうか。この意味では、画像データなどが簡単に利用できるようになった今日これからこそが、本当の意味で、人文学研究者、文化財の所有者・管理者、情報工学の研究者、それぞれの立場から、話しをする場面が必要になってきているように思われる。

全体の印象としては、今回の「じんもんこん」からは、この基調講演は、非常に価値のあるものだったと思う。このことの意義を、情報工学系の研究者の人たちが十分に理解してくれるとありがたいと思うのである。

當山日出夫(とうやまひでお)

私的じんもんこん2010覚書(5)2010-12-25

国立国会図書館のデジタルアーカイブ事業2010-12-25 當山日出夫

文字を読むとき、ただ、文字だけを見ているのではない。その前後の文脈のなかで読んでいる。このことが、なかなか理解されていないな、と感じた。

今回のじんもんこん2010で、文字をあつかった発表がいくつかあった。翻刻の支援システム、とでもいえばいいだろうか。それらの発表を聞いていて感じたのは、まだまだ、人文学研究者の仕事の現場の感覚を、つたえるのはむずかしいのか、ということ。

古典籍の翻刻のような仕事・・・昔の写本の字を見ているだけのように見えるのかもしれないが、読んでいるのである。前後の文脈からのこの字は、こうであろう。あるいは、この字のくずしかたは、この文献の筆者のくせから判断して、この字であろう、など。

こういったこと、人文学で古典籍をあつかう人間にとってはあたりまえのことなのだが、意外と、このところが、つたわっていないなと感じた。まあ、発表したのが、大学院生など若い人だったので、このあたりの事情に不案内なのはわからないではない。しかし、その発表を指導する人が、もうちょっと気をつけてもよかったのではないだろうか。わかっているはずなのである。

ちょっとした感覚のいきちがいが、場合によると大きな亀裂にならないともかぎらない。

一方では、実際に古典籍を読む人間にとって、どのようなシステムがあればいいのか・・・この要求をきちんと提示することも大事だろう。これは、相互の問題である。一方的に、情報工学の側の人に責任があるわけではない。この相互のコミュニケーションの場として、「じんもんこん」シンポジウムや、CH研究会が、機能すればと思う。

これが、うまくかみあうならば、これから、まだまだ、CH研究会の未来はある、と思う。それを、どのようにもっていくかは、研究会の運営にかかっているのかもしれない。今後に期待したいところである。

當山日出夫(とうやまひでお)

JADSの国会図書館(関西館)見学会2010-12-25

2010-12-25 當山日出夫

JADS(アート・ドキュメンテーション学会)の関西地区部会の、次回の研究会(見学会)は、

2011年1月15日(土)
国利国会図書館 関西館

で開催である。その電子図書館、デジタルアーカイブの見学である。

学会HPは、
http://www.jads.org/kansai/2011/20110115.html

別に、学会員でなくでも参加できる。

ちょうど、この日は、大学入試のセンター試験の日と重なっているのであるが、さて、どうなるか。なるべく多くの、多様な分野の人の参加に期待したい。とにかく、これから、図書館とデジタルアーカイブは、重要な存在になっていくことは確実なのであるから。

當山日出夫(とうやまひでお)