『ARG』464号の感想 ― 2011-02-02
2011-02-02 當山日出夫
『ARG』464号の感想である。
まずは、としょかん千三百観音プロジェクト、について。
なによりも、図書館というものが身近な存在になること、このことにつきるのだろうと思う。学術的な調べ物をするためにのみ、図書館はあるのではない。
とはいっても、図書館は、なんでも屋でもないし、よろづ相談所でもない。そこには、おのづから、図書館としての「節度」というものがあるであろう。このような目で見てであるが、まず何よりも、図書館のハードルを下げること、これが重要になってくる。
この意味では、「としょかん千三百観音プロジェクト」は、成功であったといえるだろう。
将来の問題としては、「調べること」と「なやんでいること」とは違う。このあたり、どのように区分していくかが課題となりそうである。ともあれ、このようなプロジェクトが今後もつづいていくことに期待したい。
當山日出夫(とうやまひでお)
『ARG』464号の感想である。
まずは、としょかん千三百観音プロジェクト、について。
なによりも、図書館というものが身近な存在になること、このことにつきるのだろうと思う。学術的な調べ物をするためにのみ、図書館はあるのではない。
とはいっても、図書館は、なんでも屋でもないし、よろづ相談所でもない。そこには、おのづから、図書館としての「節度」というものがあるであろう。このような目で見てであるが、まず何よりも、図書館のハードルを下げること、これが重要になってくる。
この意味では、「としょかん千三百観音プロジェクト」は、成功であったといえるだろう。
将来の問題としては、「調べること」と「なやんでいること」とは違う。このあたり、どのように区分していくかが課題となりそうである。ともあれ、このようなプロジェクトが今後もつづいていくことに期待したい。
當山日出夫(とうやまひでお)
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