异体字の昿埜 㐧二夜 「𦁪」字攷 ― 2011-09-27
2011-09-27 當山日出夫
http://www.zinbun.kyoto-u.ac.jp/wp-content/uploads/2011/09/itaiji_no_koya.pdf
週末、いろいろあって、書くのがおくれた。京大人文研の連続のセミナーの第二回である。今回は、人名用漢字の話し。
前回が、当用漢字の制定、漢字制限にかかかわる話しであった。今回は、それのつづきで、人名の漢字における制限(する/しない)にかかわる、「攻防」の話しと理解した。
本でいえば、だいたい16ページの「氏名等を平易にする法律思案」のあたりあたりから、37ページの「琉球政府の人名用漢字と当用漢字表」ぐらいに、あたるであろうか。
ここで、個人的感想をのべておくと・・・であるが、人名用漢字によって、当用漢字の制限がなしくづしにされようとしていたときの、エピソード。剱木亨弘の話。本では、33-34ページ。
ちょっと、孫引きで引用しよう、
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私は、とっさに「剱木亨弘」の名刺を差し出して「私の名前をお読みいただけますか。読めたら引き下がります」とつけ加えた。
「ケンノキ、は分かる」「いや下の名前です」「分からんなあ」--ここまで問答が進んだところで、私は開き直った。
「私の父がつけた名前ですが、今日まで一度も正確によんでもらったことがありません」
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このようなやりとりの結果、戸籍法第50条改正案は、廃案になるのである。
これは、漢字制限の問題であると同時に、その読み方(音訓)の問題でもある。ただ、漢字の字種だけに限った議論ではない。私の感覚では、「亨」「弘」も、そう難しい漢字ではない。人名としては、ごく普通につかう漢字。問題は、その読ませ方だろう。
このあたりの問題は、現代の、子供の名づけの問題にも、かかわってくる。とにかく、最近の、子供の名前は、「読めない」のである。しかるべき、由来・典拠のある「なのり」の読みなら、まだ理解できるのであるが。
人名用漢字の問題は、その使用字種の問題だけではなく、読み方にまで踏み込んで議論する必要があるだろう。いや、すくなくとも、名前には、ふりがなをかならずつける習慣を一般化するというような方向の議論がもっとなされてもよいのではないか。
「よみ」の問題にまで人名用漢字について踏み込むと、大混乱になるので、字種の制限の問題にとどまっているというのが、現状とみてよいであろうか。
當山日出夫(とうやまひでお)
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