池田健太郎訳『罪と罰』2016-05-28

2016-05-28 當山日出夫

文学とは文体である。ある意味、このように言うこともできよう。であるならば、海外文学の翻訳を読むのに、誰の翻訳で読むのがいいのか、ということになる。

ただ、翻訳には、誤訳がつきものである。それを指摘すれば、いろいろいえるのかもしれない。しかし、文学の翻訳についていえば、まず、何よりも文体の魅力である。それが無いと、まず読む気にならない。

無論、原文で読めればそれにこしたことはないのかもしれない。しかし、私の語学力では、もはや英語でさえも、原書を読むのにはおぼつかない。ましてやロシア語である。これは、もう翻訳にたよるしかない。

『罪と罰』である。

最近では、光文社古典新訳文庫の亀山郁夫訳が著名だろう。

光文社古典新訳文庫版『罪と罰』
http://www.kobunsha.com/shelf/book/isbn/9784334751685

この他、現在、普通に手にはいる本としては、

新潮文庫版(工藤精一郎訳)『罪と罰』
http://www.shinchosha.co.jp/book/201021/

岩波文庫版(江川卓訳)『罪と罰』
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/32/6/326135+.html

などがある。

だが、私は、断然、池田健太郎訳なのである。中公文庫版で、昔、読んだ。まだ、若かったころ。学生のころだったろうか。それまで、新潮文庫版、岩波文庫版も手にしてはいたように思うが、いまひとつ、しっくりこなかった。ところが、池田健太郎訳(中公文庫)である。これを読んで、いきなり、陰鬱なペテルブルグの世界に引き込まれてしまった。行間から、ペテルブルグの街の空気がただよってくるような感じだった。読んで、ああやっと『罪と罰』を読んだな、という気がした、そのように感じたことを今でも覚えている。

その中公文庫版も今は読めない。絶版。(家のなかを探せば、どこかで見つかるかもしれないのだが、もうあきらめるしかないのかな、と思っている。)

ところが、今は、WEBの時代。オンラインで、古書の検索・購入ができる。探してみると、中央公論社「世界の文学」のシリーズが見つかった。池田健太郎訳『罪と罰』である。(文庫版の、もとになったものである。)

値段は、「1円」(それに送料がかかる)。多少の送料がかかるといっても、電車に乗って古書店をめぐることを考えれば、オンラインで買ってしまった方が、はるかに手っ取り早い。

先日、注文しておいたのがとどいた。見ると、月報はないようだが、それ以外は、非常にきれいな本である。久しぶりに、池田健太郎訳の『罪と罰』が読める。これは、うれしい。

ところで、今、読んでいるのは、『カラマゾフの兄弟』(池田健太郎訳)。中公文庫版。これは、持っている古い本の中からみつかった。全5冊。見ると、奥付のところに、1984(昭和59年)の日付が、ペンで書き込んである。

『カラマゾフの兄弟』(あるいは、一般的には、長音「-」をいれて『カラマーゾフの兄弟』か)も、池田健太郎訳がいいと思う。ここしばらくは、ドストエフスキイ(この表記法も、池田健太郎の流儀)を読んで、読書の時間をつかいたいと思っている。

昔、若かったころに帰った気分で、本を読みたい。

なお、池田健太郎という人、WEB(ジャパンナレッジ)で見てみると、若くして亡くなってしまっているようだ。もうちょっと長生きしていれば、日本におけるロシア文学の受容に、大きな影響を与えたひとかもしれない。