佐々木俊尚『21世紀の自由論』2016-07-07

2016-07-07 當山日出夫

佐々木俊尚.『21世紀の自由論-「優しいリアリズム」の時代へ-』(NHK出版新書).NHK出版.2015
https://www.nhk-book.co.jp/detail/000000884592015.html

現代日本の政治社会状況の分析と、それに対しての対応を考えてある本である。どちらかといえば、保守的な立ち位置からの本として私は読んだ。

まず、現代の日本はどうかというと、「リベラル」への批判として、

「勧善懲悪では、市民やメディアが一方的な善になってしまい、しかしその善であるという思想的な背景は何もないからだ。単に反権力であるということでしか担保されていないのである。では反権力の側が政権を握り、責任を負ったらどうなるのか? ということは誰も考えなかった。(中略)うっかり反権力が政権をとってしまって何もないことが露呈してしまったのが、二〇〇九年以降の民主党政権だったといえるだろう。」(pp.19-20)

保守にも、問題はある。問題点として、二つ指摘してある。

第一に、「これらの保守的な主張が求める伝統や歴史というものが、実のところそれほどの根拠はないということだ。」(p.74)

第二に、「「親米保守」というジレンマ」(p.82)として、「しかし、「親米」は、大きなジレンマを抱え込むことになる。それはアメリカの追い求める理念と、日本の保守の考える社会はまったく方向が異なるということだ。」(p.83)

そのうえで、次のように指摘する、

「不思議なのは、このように「歴史と伝統」を標榜する保守が「親米」に引きずられてグローバリゼーションを受け入れる傾向があるのに対し、日本の「リベラル」はグローバリゼーションに反対しているという逆転があることだ。いったいどちらが「歴史と伝統」を大切にしているのか、もはやわからない状況である。」(pp.89-90)

「さらに、従来の保守派の中から親米保守に疑問を抱く層が、「反米保守」というような自主独立派を構成する流れも起きている。」(p.100)

そして、保守と「リベラル」について、次のように指摘するのは、これは、「永続敗戦論」(白井聡)にも通じると判断する。

「五十五年体制を基盤とした旧来の対立軸は有効性を失ったが、メディアの空間ではまださまざまな神話が生き続けている。」(p.103)

このあたりの分析は、妥当なものだと思う。問題は、ではどうするか、である。筆者は、次のようにのべる。

「国民国家の領域を超越して、少数精鋭でつくられるグローバル企業と、それらグローバル企業が展開する生産や消費、サービスなどのさまざまなプラットフォーム。そしてその上で流動的に生きる個人という三位一体が、次の時代には世界の要素として成立していくことになるだろう。」(p.165)

そして、「優しいリアリズム」がこれからは必要だとする。これをささえるのは「ネットワーク共同体」にささえられるものであり、最終的には「なめらかな社会」を生み出していくであろうと、筆者は論じている。

このあたりの議論(長期的な展望)になると、多少の疑問がないではない。旧来の文化・民族・言語・宗教といったものによる共同体は、いったいどうなっていくのか、あまり明確な議論として提示されていないからである。多少、ユートピアを夢見ているような印象さえ感じないではない。

しかし、次のような指摘は重要だろう。中期的な展望としてであるが、

「日本は単独で中国と向き合うべきではなく、アメリカや東南アジア諸国と軍事的な連携を強めておく必要がある。だから集団的自衛権を容認し、備えをしておくのは当然のことだ。軍事大国になる必要はないが、軍事力は重要だ。これは中国を敵視するというようなことではなく、偶発的な戦争を恐れた上でのリアルな戦略である。軍事的な均衡が平和のいしずえとななるという考え方が大切だ。」(pp.173-174)

ネットワークの発達によって、将来、どのような社会が到来するかは別にしても、現実的な中期的な戦略としては、上記のようなことが、もっとも現実的なところかと思われる。

ところで、ネットワーク社会についての筆者の見解を読んでいると、興味深いものがあった。それについては、改めて書いてみたい。