「とと姉ちゃん」一銭五厘で召集できたのか2016-07-16

2016-07-16 當山日出夫

NHKの朝ドラの『とと姉ちゃん』、このところ習慣のようにして見ている。ドラマは、いよいよ、雑誌の編集スタッフとして花山が参加するようになるあたり。この花山が、出版の仕事にかかわるのをためらうあたりの描写でちょっと気になったことがある。

それは、戦時中(太平洋戦争)、どのようにして召集令状は、とどけられたなのか、ということである。

『とと姉ちゃん』では、一銭五厘でいくらでも兵隊は集められる……という意味のことを言っていた。「一銭五厘」とははがきのことであろう。この箇所、気になっている。

さっそく、ジャパンナレッジで「召集令状」で検索してみたが、『国史大辞典』ではヒットしない。さらに全文検索をしても無い。ことばの用例としては、『日本国語大辞典』などにあるのだが、では、それがどのような制度であったか、どのように届けられたかについては、書いてない。

しかたがないので、Wikipediaを見てみた。このようにある。

「召集令状」で検索して、「一銭五厘」の見出しのところに、「従軍記などに見る「一銭五厘」の表現は、当時のハガキの郵便料金が一銭五厘であったことから、兵隊は一銭五厘で赤紙を送れば補充がきく、兵隊の命には一銭五厘の価値しかないという比喩である。ただし、実際には上述のとおり赤紙は役場の職員が直接持って来るのが原則だった。」とある。(2016-07-15アクセス)

どうやら、一銭五厘のハガキ一枚で兵隊を召集できるということではなかったらしい。

ただし、この項目(召集令状)については、「この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。」との注意書きがある。

ところで、召集令状のとどく場面といえば、NHKの朝ドラでは『マッサン』(2014後)、『おひさま』(2011前)で、あったように記憶している。私の記憶では、たしか、これらの作品では、召集令状は、役場の係の人が、個別にその家をたずねて本人を確認したうえで、手渡していたように覚えている。

それから、私の読んだものでは、小説として、次の作品がある。

浅田次郎.『終わらざる夏』(上・下).集英社.2010
http://books.shueisha.co.jp/CGI/search/syousai_put.cgi?isbn_cd=978-4-08-771346-6

がある。

この作品は、太平洋戦争末期の、占守島での戦闘を描いたものだが、その物語は、村の役場の担当の役人が、残り少なくなった人員のなかから誰を選びだして、召集すべきか、なやむところからはじまる。そして、その召集令状は、本人のところに出向いて手渡されていたと覚えている。

たった、70年ほど前のことである。そして、その紙一枚に、人間の人生のすべてがかかっていたといってもよい。その召集令状(赤紙)が、どのようにして選ばれた人間のもとに、どのようにして届けられたのか、これが、分からなくなってしまっているのが、今の日本の現状であるといってもいいかもしれない。

これは、単にNHKの時代考証のミスではすまない問題があるように思う。われわれにとって、戦争といえば、先の大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)であるとして、そこで戦った人間は、どのような手順をふんで戦地に赴くことになったのか、「記憶」「記録」として伝えられていないことを意味する。

それは、また、『とと姉ちゃん』が、いみじくも描いていたように、「八月十五日」ですべてが変わった、それで気づいた……という、いわゆる「八月十五日の神話」の再生産(ある意味での知的怠慢)と無関係ではないだろう。

追記
たぶん、ドラマの描写は、

花森安治.『一戔五厘の旗』. 暮しの手帖社.1971
https://www.kurashi-no-techo.co.jp/books/b_1034.html

によっているのだろうと思うが、しかし、だからといって、史実とかけ離れたことはあってはならないと思う。

追記 2016-07-29
浅田次郎が、「赤紙」は役所の兵事係が担当して、とどけたと語っている。
http://www.huffingtonpost.jp/2016/07/29/asada-jiro-kikyou_n_11190420.html

追記 2016-08-01
このつづきは、
「とと姉ちゃん」一銭五厘で召集できたのか(その二)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/08/01/8143835