『漱石紀行文集』「満韓ところどころ」2016-07-27

2016-07-27 當山日出夫

藤井淑禎(編).『漱石紀行文集』(岩波文庫).岩波書店.2016
https://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/36/1/3600230.html

文庫本のタイトルは、『漱石紀行文集』となっているが、やはり注目すべきは「満韓ところどころ」だろうと思う。

ちょっと気になって見てみたのだが、文庫版で「満韓ところどころ」が出ているのは、ちくま文庫版の「全集」をのぞけば、今回の、岩波文庫版ということになるようだ。

いろいろ問題のある……毀誉褒貶のある……作品であることは、承知しているつもりでいる。私は、特に、日本近代文学を専門に勉強しているということではない。しかし、大学で国文科というところを出ているので、なんとなくではあるが、この作品をとりまく昨今の状況というのは、感じられる。

近代の日本の植民地主義批判、その観点からの漱石文学の批判的読解である。

このような視点から見るならば、たしかに、「満韓ところどころ」は、いいのがれようがない。「帝国」としての日本が、中国大陸(満州)を、どのような視点から見ていたのか、その差別意識とでもいうようなものが、いやおうなく、現代の読者にもつたわってくる。

そう思って、「解説」(藤井淑禎)を読んでみると興味深い。このように記してある。

まず、漱石の作品の読者の変化を指摘する。

(漱石の作家としての境遇の変化に)「連動して、執筆した作品の掲載誌紙や読者層も様変わりした。仲間うちの半同人誌から出発して、純然たる文芸誌、さらには全国紙(東京・大阪)へと発表の場を広げ、当初とは逆に、顔の見えない読者がほとんどを占めるようになった。」(p.259)

そして、「満韓ところどころ」は、「朝日新聞」の連載である。

そのうえで、解説にはこうある、

「たいていの作品が多かれ少なかれ掲載誌紙や読者を意識して書かれる(=書き分けられる(ママ))ものだとすれば、そこから作家の本心や本音を取り出すのは(中略)そんなに容易なことではない。にもかかわらず、いまだに文学研究の世界では、歴史研究で言うところの史料批判も経ずに、書いてあることを額面通りに受け取ったり、真に受けてしまう、ということが横行している。」(p.271)

間接的な言い方ではあるが、これは、漱石の作品は、その読者とともにあるのであり、「満韓ところどころ」に見られる差別的な表現、それは、「朝日新聞」の読者も共有するものであった。その点を見逃しては、作者(漱石)の本当に意図したところは読み取れないのである……このように、私は、理解して読んだ。当時の「朝日新聞」の読者一般の、中国・満州についての意識をふまえないでは、そのような作者(漱石)の表現も理解できないのである。

とりあえず、このように理解して読むとはしても、「満韓ところどころ」は、やはり漱石の文章だな、と感じさせる描写がいくつかある。

「表に出るとアカシアの葉が朗らかな夜の空気の中にしんと落ち付て、人道を行く靴の音が向うから響いて来る。暗い所から白服を着た西洋人が馬車で現れた。ホテルへ帰って行くのだろう。馬の蹄は玄関の前で留まったらしい。是公の家の屋根から突出した細長い塔が、瑠璃色の大空の一部分を黒く染抜いて、大連の初秋が、内地では見る事の出来ない深い色の奥に、数える程の星を輝つかせていた。」(p.23)

このような風景描写を見ると、漱石の文章だなと感じる。『草枕』などに代表されるような、漱石らしい風景描写、紀行文を読むことができる。

ともあれ、今の読者としては、次の二点を留意すべきかと思う。

第一に、「満韓ところどころ」が日露戦争後における日本と中国・満州との関係を念頭において読んだ方がいいということ。そして、それは、作品が発表されたメディア「朝日新聞」の多数の読者の共有するところでもあったこと。このことを、まず理解しておく必要があるだろう。

第二に、そのようなことは分かったうえで、漱石の書いた紀行文として、これは、日本の近代文学史に残る作品のひとつとして味読すればよいと思う。

以上の二点をふまえたうえで、この『漱石紀行文集』とくに「満韓ところどころ」は、今の読者に読まれてよい。そして、つけくわえるならば、かつての日本は、このような文章をごく普通に読んでいた時代というものがあった、そのことを、あらためて理解しておく必要がある。これは、特に、若いひとにいっておきたいことである。

『吾輩は猫である』や『三四郎』や『こころ』では、知ることのできない、漱石の世界と、その時代背景を知ることのできる作品である。

追記
このつづきは、
『漱石紀行文集』「倫敦消息」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/28/8141013