「真田丸」におけるイエ意識2016-08-02

2016-08-02

『真田丸』……NHKの今年度の大河ドラマについて……である。この前は、忠誠心について考えてみた。

やまもも書斎記 2016年7月29日
「真田丸」における忠誠心
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/07/29/8141699

第30回 黄昏 2016年7月31日放送

これを見ると、どうも、主人公(真田信繁)の行動原理というか、エトスというかが、より鮮明になってきたように思える。つまり、イエに対する忠誠心である。

信繁は、豊臣秀吉の最晩年にむきあうことになる。そこで、認知症老人と化した老いさらばえた秀吉の身の回りの世話をする係のような役割をになっている。もう自分のことを、真田信繁とも認識してくれなくなった(認知症がすすんだ)秀吉を、懸命に介護している。

ここに見られるのは、豊臣家(イエ)への忠誠心としかいいようがないだろう。

その一方で、信繁は、秀吉の状態(老齢化している有様)について、兄(信幸)にうちあける。それが、最終的には、徳川家康の耳にはいることは、承知してのことであろう。だが、これは、再び戦乱の世になるかもしれないなかで、真田家(イエ)が生きのびるための手段としてであると、理解される。

つまり、ここで、信繁は、二つのアイデンティティにひきさかれることになる。

第一は、馬廻衆としてつかえている豊臣家の一員としてそのイエの安泰をねがう立場。

第二は、真田家の一人ととしてそのイエの存続をはかる立場。

たぶん、ドラマは、次回で、豊臣秀吉の最後ということになるのであろう。そして、その後、信繁はどうするのか。幼君・秀頼につかえて、豊臣家のためにつくすことになる。それと同時に、真田家のものとして、真田家の生き残りのために働くことになるのだろう、と推測する。

最後は、すでにわかっている。信繁は豊臣につき、兄(信幸)は徳川につき、最終的には、真田家は生き残ることになる。豊臣家はほろび徳川の幕府の時代になる。つまり、信繁は、滅び行くものに忠誠をつくすという道を選ぶことになる。ここでは、豊臣のイエの一員としての意識が強く前面に出ることになるのだろう。

物語はここに来て、もはや、かつての真田の郷は登場しなくなった。郷土に対するパトリオティズムは、出てこない。出てくるのは、豊臣のイエの一員、と同時に、真田のイエの一員という、ジレンマにひきさかれたアイデンティティである。

なお、このブログ記事では、イエと片仮名で書いてみた。これは、次の本のことを意識してのことである。

村上泰亮.『文明としてのイエ社会』.中央公論社.1979