加藤陽子『戦争まで-歴史を決めた交渉と日本の失敗-』2016-09-12

2016-09-12 當山日出夫

加藤陽子.『戦争まで-歴史を決めた交渉と日本の失敗-』.朝日出版社.2016
http://www.asahipress.com/sensomade/

この本を読み終えて、まず私がしたこと。それは、次の文章をWEBで見て確認することであった。

天皇陛下のお言葉
全国戦没者追悼式 平成27年8月15日(土)(日本武道館)
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/okotoba/okotoba-h27e.html#D0815

内閣総理大臣談話 平成27年8月14日
http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

この『戦争まで』の「1章 国家が歴史を書くとき、歴史が生まれるとき」において、言及(引用)してあるものを、全文、確認しておきたかったからである。そして、たぶん、このようなことが、この本の著者(加藤陽子)の期待している本の読まれ方、その少なくとも一つではないかのかと思う。

昨年、上記の二つの文章は、さんざんマスコミで言及され、場合によっては(特に、首相談話については)強く批判されてきたものである。だが、その全文をあらためて読み直してみる価値、その必要はあると思う。これが、日本の国として、過去を顧みて、そして、将来に残すことになることばなのである。

で、この本、『戦争まで』は、太平洋戦争(私は、あえて大東亜戦争といういいかたをしたいのだが)の開戦にいたるまでの日本の決断・選択について、主に高校生を対象として語ったものである。先に刊行された、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の続きと思えばいいだろうか。

http://www.shinchosha.co.jp/book/120496/

決断・選択の場面は三つ設定してある。
・リットン報告書
・日独伊軍事同盟
・開戦前の日米交渉
これらについて、一次史料にもとづいて、日本に他に選択肢はなかったのか、検証してある。

たとえば、満州事変の後のリットン報告書については、これは、自らも大英帝国の一員であったリットン卿の作成したものとして、日本としても妥協できる余地を十分に与えるものであったことが検証されている。

高校生を対象に語っている本であるから、高校程度の日本史の知識があれば、十分に理解できる内容になっている。私のならった高校の日本史の知識としては、満州事変後の国際連盟が派遣したリットン調査団は、日本がとてものめないような結論をつきつけた。その結果、日本は国際連盟を脱退するという道を選んだ……と覚えているのだが、実はそうではなかったらしい。

日独伊軍事同盟についても、バスに乗り遅れるな、のかけ声のもとに、ドイツ・イタリアについた、というわけではないようである。その条約締結の直接の担当者の残した史料から、意外な理由があきらかにされる。

開戦にいたる日米交渉については、よくいわれるアメリカ謀略論……アメリカが日本を開戦においこんだ、はては、アメリカは真珠湾を攻撃されることを知っていた……が、批判的に検証されている。

そして、蛇足で私見を付け加えるならば、もし、日米交渉があと半年つづいていたら、つまり、ドイツとソ連の戦争の行方がどうなるか分からないという時点まで判断を先延ばしすることができたなら、という思いがしてならない。この本では、そこまでは語ってはいないのだが。

この本のはじめの方で、高校生に話をする目的を、登山にたとえている。

「大学や大学院という学びの最終段階で長年教え、また自ら研究も続けてきた人間ならではの役割があるとすれば、それは、山登りの準備段階をすっ飛ばし、富士山を登りきったとき、山頂から見える風景や見晴らしを語ることにあるのではないかと感じています。」(p.19)

これは、著者の専門家としての自信の表明であると同時に、歴史学研究というのは、何よりも史料にもとづいて構築されるべきものである、その手続きが重要であることを言っていると、私は理解して読んだ。そして、この本でも、基本的に史料にもとづいて歴史を検証していくという方法論をとっている。

これは当たり前のことのように思えるが、実は重要な点だと思う。世にある、いろんな歴史関係の書物は、必ずしも、この歴史学の手続きをふまえたものばかりとは限らない、ということがある。特に、この本が対象とした、日本が開戦にいたった経緯については、いろんな俗説がはびこっている。それを、最新の研究成果にもとづいて、そして、史料を読みながら、高校生にもわかるように語っているのである。

いわば、大学生を相手にする、研究入門の授業のその前段階のことである。歴史を語るとはどういうことなのか、何が史料として利用できるのか、その史料から何が読み取れるのか……である。

それから、この本で重要なことは、先に『日露戦争史』(半藤一利)で出てきた「民草」の視点をもちこんではいない、ということである。これについては、改めて書くことにする。

追記 2016-09-13
ここで記した「民草」については、
加藤陽子『戦争まで-歴史を決めた交渉と日本の失敗-』国民観
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/13/8184222