『真田丸』あれこれ「歳月」2016-10-04

2016-10-04 當山日出夫

テレビの話しがつづく。

NHK大河ドラマ『真田丸』。この前の日曜日(10月2日)の第39回「歳月」。この回は、豊臣も、徳川も、出てこなかった。これは意図的にそのように脚本を書いたと思う。(意図的でない脚本というものは、そもそも無いとおもうけど。)

描かれていたのは、高野山の九度山における、信繁の蟄居生活の有様。これは、次回以降、大坂の陣へむけての一時の息抜きのようなものであり、それへの伏線となるものでもあろう。

印象的だったのは、信繁が、子供(大助)と囲碁をするシーン。この囲碁で、信繁のなかに、まだ脈々とながれている父(昌幸)からうけついだ、武士としてのエトスを表現していると見た。相手に周りを囲まれたら負け、逆に、相手を囲んでしまったら勝ち、そこが自分の領土になる。その領土を増やしていくのが、勝負であると。

ここには、もはや、このドラマの初期に見られたような、信州・真田の里へのパトリオティズム(愛郷心)のようなものは微塵もない。あるのは、相手をもとめて勝負にうってでるという武士の心のみである。信繁が武士であることを貫こうとするならば、徳川を相手にして戦うしか、残された道はない。そして、そのような終わり方であった。

次回以降、大坂の陣で、戦闘シーンが多くでてくるにちがいない。では、なぜ戦うのか。その心情の根底にあるもの……エトス……は、何なのか。ここにきて、ただおのれが武士であること、そのことの確認のためにのみ、戦場へと赴くように思えてならない。

大坂の陣を前にして、なぜ信繁は戦うことになるのか、そのこころの背景を描いた回のように思ってみたのであった。

とはいえ、ルソンからきた娘……秀次の娘(たか)……この娘の登場は、かなりインパクトがあった。このような滑稽味のシーンがあってこそ、信繁の武士としての覚悟も固まるというものだと思っておくことにする。