半藤一利『荷風さんの戦後』2016-10-07

2016-10-07 當山日出夫

半藤一利.『荷風さんの戦後』(ちくま文庫).筑摩書房.2009 (原著は、筑摩書房.2006)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480814784/

この本、『荷風さんの昭和』(ちくま文庫)の続編になる。

やまもも書斎記 2016年9月
半藤一利『荷風さんの昭和』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/09/26/8201755

『荷風さんの昭和』では、荷風の『断腸亭日乗』を読むことによって、昭和(戦前)の荷風を、そして日本を描いた歴史探偵の作品であった。これは、その戦後編である。はっきりいって、こちらの方はあまり面白くなかった。いや、これは、比較すればということであって、充分に面白い本なのであるが、先の『荷風さんの昭和』に比べればということになる。

それは、なぜだろう……私の思うに、戦後の荷風の『断腸亭日乗』を読むことによっては、もはや、日本の国や社会や人びと(民草)のあり方にせまることができなくなっているせいかと思う。戦前の荷風が、日本にありながら「亡命者」として生活していたとするならば、戦後の荷風は「風狂の徒」である。

「荷風はスパッと万事を放棄することで戦前戦後に区切りをつけ、以後のおのれは無一物の風狂の徒たらんと決意したように思われる。」(p.162)

その晩年は、千葉の市川に住んで、毎日のように浅草に通う日々を送っていた。そこからは、時代・世相・社会に対する、シニカルな批判の眼はもはやなくなっていたというべきだろう。

それを象徴するのは、たぶん、「全集」の刊行。昭和23年から『荷風全集』が刊行になっている。

「さらに特筆すべきは昭和二十年までの『断腸亭日乗』が、きちんと荷風の手が加えられて、初めて日の目をみることになったのである。」(p.170)

このことを勘案して見るならば、麻布の偏奇館がやけて、終戦をむかえた後の荷風にとって、『断腸亭日乗』を「完全版」で刊行することができれば、もうあとは余生というべきものであったのかもしれない。

そのせいだろう、いくら「歴史探偵=半藤一利」の眼をもってしても、その後の『断腸亭日乗』から昭和の戦後という時代を見ることができなくなっている。このことには、筆者(半藤一利)も自覚的である。

「いわんや、『日乗』を読むことの大きな楽しみでもある時勢慷慨や人間批評がほとんど影をひそめてしまう。」(p.183)

むしろ、戦後編のこの本の面白いところは、晩年の荷風の生活のいろんなエピソードだろう。筆者(半藤一利)は、文藝春秋の記者であったとき、荷風の最期の場面にたちあっている。その記事を文藝春秋に書いたのは、外ならぬ半藤一利その人であったことから、この本はスタートする。

以後、なんどか、生前の荷風に筆者はあっている。その時の思い出など、そのようなものとして読むと、これはこれで非常に面白い読み物になっている。ただ、前述のように、それを通して、歴史探偵として戦後日本の姿が見えてくる、というわけではないのだが。