半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』2016-10-26

2016-10-26 當山日出夫

半藤一利.『日本国憲法の二〇〇日』(文春文庫).文藝春秋.2008 (原著 プレジデント社.2003)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167483173

現在の憲法については、その成立をめぐって、また、改正をめぐって、様々に議論がある。それらのなかで、この本は、読まれていい本だと思っている。と同時に、天皇というもの……今上天皇は退位の意向をしめされているようだが……について考えるとき、憲法の問題とあわせて考えるべき視点を提供してくれる本だと思う。

著者(半藤一利)は、「歴史探偵」として多くの歴史にかんする著作を書いている。この本も、その「歴史探偵」の面目躍如たるところがある。この本には、主に、三つの視点がある。

第一には、客観的な歴史記述をする、一般の歴史家の視点。この視点から描かれる日本国憲法の成立過程は、他に多くある。特にきわだって新発見の史料があるというわけではない。しかし、それはそれとして、知られていることを、実に手際よく整理してしめしてある。

第二には、当時の世相の描写である。著者の使っている用語でいうならば、「民草」の視点であり、「B面」の歴史である。ここで、頻繁に登場させているのが、山田風太郎と高見順の日記。

山田風太郎の日記……その代表的なものは『戦中派不戦日記』だろう、講談社文庫版で新旧の版を持っている……それから、作家として名をなし近代文学史に足跡をとどめる仕事をしていた高見順。この高見順、その作品自体は、もう読まれないものになってしまっているようだが、文学史をたどるうえでは、その仕事は貴重である……これらの日記史料をつかって、当時の世相を描きながら、政府に対して批判的な視点のあったことをわすれてはいない。

第三には、著者(半藤一利)の視点である。終戦当時、著者は、新潟県の長岡に疎開してして、中学生であった。その当時の中学生の視点を回顧して、どのように時代の動きがみえたか記している。この箇所についてみれば、これは、これとして、貴重な史料になるだろう。

以上、主に三つの視点をおりまぜながら追っていく日本国憲法の成立は、ただの政治史としての憲法論ではない、面白さがある。だからこそというべきなのだろうが、上記のような三つの観点は大事かと思って読んだ。

で、なぜか出てこないなあ、と思っていたのが永井荷風である。その『断腸亭日乗』がこの本では、基本的に使っていない。しかし、一カ所だけに登場させている。なるほど、このことを荷風のことばをつかっていいたかったのか、という場面においてである。

日本国憲法は、「おしつけ」であったかどうか……論者によっては様々な議論があることは承知しているが、ともかく、実際の歴史的経緯は、どんなであったか、それをその当時の人びとはどううけとめていたのか、まず、そこのところを確認することが重要なのだと思う。

この本は、2003年の刊行であるが、その「あとがき」にこう記している。

「そしてわが日本である。基本の国家戦略をいまだうち樹てないままに、「新しい戦争」を、つまり「ブッシュ戦争を支持します」とただ恰好をつけていうのは、目をつむってテロのターゲットになることを覚悟した、ルビコン河をあっさり渡ったと同義になろう。あの日から五十七年、いまの日本の指導層のなかでは、すでにして「大理想」は空華に化しているのであろう。非命に斃れた何百万の霊はそれを喜んでいるであろうか。」(p.365)

そして、さらに、その後の日本は、現行の憲法の解釈を変更し、集団的自衛権というところにまで、時代は変化してきている。

私は、必ずしも現行憲法を不磨の大典として守り抜けというつもりはない。そのときの国際情勢のなかで、常に見なおされてしかるべきだと思っている。だが、それは、たえず歴史をかがみとして、どのようにして今があるのか、たえざる反省をともなうものでなければならないと思っている。この意味において、憲法成立の過程をわかりやすく説いたこの本は、読むに値する本の一つであると考える。