半藤一利「歴史家としての心得」2016-11-03

2016-11-03 當山日出夫

半藤一利.『漱石先生ぞな、もし』(文春文庫).文藝春秋.1996 (原著 文藝春秋.1992)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167483043

この本で付箋をつけた箇所をつづける。

水戸光圀にふれたところで、以下のようにある。ちょっと長くなるが引用する。

「わたくしは近頃若いひとたちと話をしていて、かれらの歴史をみる眼のなかに、こうした”あたたかさ”や”人間らしさ”が失われていることを感じるのがしばしばである。奈良の古びて美しく残る風景や、奈良の大仏をみて若ものは「でもこの時代には天皇家と、その周囲の権力者だけが栄華な生活を送っていて、奴隷である農民を使役して人口二十万の奈良の都を作ったんですってね」と突然わたくしをおどろかすようなことをいう。/彼または彼女の頭では、二十万もの、当時の大都会に住んでいたもののほとんどが、苦役にあえぐ農民であったら、はたしていまに残る古びて美しい町を形成できたか、想像できないらしいのである。大仏をめぐる仏教文化の影響に考察は及ばぬのである。」(pp.277-278)

そして、このようにも語っている。

「歴史解釈の曖昧についていっているのではない。かつての日、わたくしたちが詰めこまれた皇国史観にかわって、戦後の民主主義教育で登場し、教えられている歴史の見方というものに、どれほどの違いがあるのか、についてやや疑義を呈したいのである。天皇制の代りに人民や民衆が振り回されることになっても、振り回される民衆とやらはそれまでの天皇制と同じで、〈歴史より歴史学〉を信奉する歴史家が、つくりあげた観念であることに違いはない。」(p.279) 〈 〉内は、原文傍点。

著者(半藤一利)は、昭和5年の生まれ。終戦のときは、中学生であった。このことについては、次の本にくわしい。すでにふれた本である。

半藤一利.『日本国憲法の二〇〇日』(文春文庫).文藝春秋.2008 (原著 プレジデント社.2003)
http://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784167483173

やまもも書斎記 2016年10月26日
半藤一利『日本国憲法の二〇〇日』
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/10/26/8236181

このような時代に生きた人間ならでは、歴史観というべきであろう。絶対的な皇国史観を信じることもないし、かといって、逆に、絶対的な民主主義信奉者というわけにもいかない。どかかさめた眼で歴史をみている。

漱石について思いつくままに書いている気楽なエッセイであるが、このような箇所は見逃すことはできない。「歴史」と「歴史学」について、考える貴重なヒントになる箇所であると思って読んだ。実際にどのようであったの「歴史」とそれを解釈する「歴史学」、といえば、あまりに素朴な実在論であろうか。しかし、「歴史」にむかうとき、謙虚な実在論の立場を失ってはならないと思うのである。