漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん(その2)2016-12-02

2016-12-02 當山日出夫

昨日のつづき。夏目漱石『三四郎』における、野々宮の呼称をめぐる問題である。

やまもも書斎記 2016年12月1日
漱石『三四郎』の野々宮と野々宮さん
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/01/8263506

今日とりあげるのは次の本。

小池清治.『日本語はいかにつくられたか?』(ちくま学芸文庫).筑摩書房.1995 (原著 筑摩書房.1989)
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480082107/

この本は、日本語の歴史を、古事記・万葉集の時代から、近代の文学にいたるまでを概観した、ごくわかりやすい本である。(実は、この本を、以前は、日本語史の講義の教科書に使っていた。しかし、今は、もう絶版になってしまっている。)

第Ⅴ章「近代文体の創造 夏目漱石」を見ることにする。

まず、漱石のことばにはいくつかの層があることを指摘する。

  古語の層、江戸語の層、現代語の層

これらの各層が無頓着につかわれているとする。(pp.176-177)

「この無頓着ぶりは漱石の文体がいわゆる言文一致体でないことを如実にしめしていることになる。もし言文一致であるとすれば漱石の口頭語は古語、中世・近世語、現代語が渾然一体となった不思議な言語であったということになるからだ。/漱石が意を用いたのは言語の文学的用法であった。」(p.178)

として、

 A 野々宮宗八どの  一例
 B 野々宮さん    三例
 C 野々宮宗八    一例
 D 野々宮さん  一一八例
 E 野々宮君    七〇例
 F 野々宮     四〇例

と調査の結果をしめす(p.178)

「『三四郎』という作品は、小川三四郎を視点人物として、基本的に三四郎の「語り」によって成り立っている。三四郎の目に映り、耳に聞こえ、心に思ったことが、彼は熊本出身の大学生であるにもかかわらず、東京弁で語られる。」(p.179)

そして、用例をあげたのち、つぎのようにある。やや長くなるが引用する。

 これも三四郎の耳を通した表現である。このように『三四郎』では、三四郎の眼に野々宮宗八が一人の男、美禰子を中に挟んでの三角関係のライバルと映る時に、「君」や「さん」という上下関係を表わすことばが振り捨てられるのである。(中略)

 「野々宮」には、視点人物三四郎眼・耳を通した表現と三人称視点の表現の両用法がある。そして、前者は、三四郎の主観、即ち、野々宮宗八を一個の男、ライバルとして見るという意識が反映している用法なのである。『三四郎』の鑑賞のしどころの一つは、野々宮が真にライバルであるか否かというところにある。それを、二種類の「野々宮」によって、作者は技巧的に表現しているのであった。

 夏目漱石の方法の工夫とは、こういう種類の工夫である。『三四郎』には「男」が一六八例、「女」が三六六例用いられている。これらにも、漱石独自の工夫が施されている。

以上、p.182。

いかがであろうか。昨日の半藤一利の指摘とまったく同じ趣旨のことを言っている。半藤一利の『漱石先生ぞな、もし』には、参考文献の一覧が巻末に掲載になっているが、そのなかに、小池清治の本ははいっていない。また、半藤一利の書きぶりからしても、先行文献として小池清治の仕事があることは、知らなかったようでもある。

これは、偶然に、ほぼ時を同じくして、『三四郎』における「野々宮」の呼称をめぐって、同じような論考を展開したことになる。歴史探偵・半藤一利と、日本語学者・小池清治である。

なお、半藤一利、小池清治の文章から、『三四郎』の該当箇所の引用はあえてはぶいた。これらの本を見るもよし、あるいは、『三四郎』を自分で読んで、その目で探してみるもよし、ということにしておきたい。