塩田武士『罪の声』2016-12-18

2016-12-18 當山日出夫

塩田武士.『罪の声』.講談社.2016
http://bookclub.kodansha.co.jp/product?isbn=9784062199834

今年の週刊文春の年間ミステリーの一位(国内)になった作品である。また、山田風太郎賞もとっている。

週刊文春ミステリーベスト10 2016
http://shukan.bunshun.jp/articles/-/6834

山田風太郎賞
http://www.kadokawa.co.jp/award/yamada/07.html

ともあれ、年末になると、各種のミステリーのランキングが発表になる。読んでいない本がほとんどという状態なので、トップになった作品ぐらいは読んでおくべきかと思って読むことにしている。そのような作品が選ばれるには、それなりの理由があってのことだと思うので。

読んでの感想としては……まさに今の時代だから書くことのできた小説だな、という印象。周知のごとく、この小説は、グリコ・森永事件をモデルにしている。

グリコ・森永事件のあったのは、1984~85年。昭和でいうと、59~60年になる。今から思い出せば、昭和のおわりのころ、まだ、バブル景気になる前の時期、ということになる。

私は、1955(昭和30)年の生まれであるから、当然ながら、この事件のことは記憶している。「キツネ目の男」と言われて、すぐに、あのイラストの男か、と思い浮かぶ。

だが、そんなに事件の詳細を憶えているわけではない。さすがに、30年以上も前のことである。事件の輪郭、主な出来事が、記憶の断片として残っているにすぎないともいえる。

そのせいであろうか、この本を読んで、実際にあった、グリコ・森永事件での出来事と、小説内での事件(これは、ギン萬事件となっている)が、混同してしまう。はて、事実はどのようであったのか(=ニュースでは、どのように見たのだろうか)、ということを、ついつい思い出しながら読んでしまう。

これは、おそらく、私ぐらいの年齢以上、若くても50才以上の年齢の人なら、同様の感覚で読むことになるはずである。

しかし、若い人……30才代より若い……にとっては、この事件は、はるか昔の昭和の事件ということになり、そんなにはっきりとした記憶があるというわけではないだろう。そのような人にしてみれば、あるいは、この小説は、実際にあった犯罪・事件をモデルにしたミステリーとして読むことができよう。たぶん、そのようにしか読めないはずである。

それは、私の年代で、たとえば、「帝銀事件」と言われて、歴史上の事件であることは知識として知っていても、記憶としてはもっていないのに近いかもしれない。

そして、この小説『罪の声』である。これは、まさに、私のような世代の人間もいれば、それより若い世代の読者もいるという、この時期ならではの作品といわざるをえない。もう10年たってしまえば、もうほとんど過去の歴史上の事件になってしまう。あるいは、逆に、10年はやければ、より多くの人が体験的に知っている出来事として、その真相は、という興味で読まれることになる。

その真相は、もはやどうでもいいのかもしれない。いや、この作品は、それなりに、この事件の真相を明らかにしている。だが、それは、小説という虚構であることが自明の世界においてである。このような真相であり得たかもしれないというフィクションを、どれほど説得力ある描写で記述できるか、である。

そして、この作品は、それに成功しているといってよい。今年のミステリーベストに入るだけの作品であることは確かである。また、小説におけるフィクション(虚構)とはいかなるものか、考えるヒントを与えてくれるにちがいない。