『暗夜行路』志賀直哉2017-02-17

2017-02-17 當山日出夫

志賀直哉.『暗夜行路』(新潮文庫).新潮社.1990(2007改版)
http://www.shinchosha.co.jp/book/103007/

『暗夜行路』の成立の事情は複雑である。

ジャパンナレッジでみると、概略はつぎのようになる。

大正10年(1921)年から昭和12年(1937)にかけて『改造』に断続連載。前編は、大正11年(1922)。後編は昭和12年(1937)。十数年以上の年月をかけて書いた、志賀直哉の唯一の長編小説である。

この作品、若い時、高校生ぐらいのときだったろうか、読んだことを憶えている。そのときは、そう感動するということもなかったが、最後の、大山の登山の場面だけは、妙に印象深く記憶に残っていた。この作品をはじめとして、志賀直哉の作品など、改めて再読してみたくなって読んでみた。

作品中、地域としては、東京だけではなく、尾道、それから、京都を舞台にしている。この作品を読んだのが高校生のころだったとすれば、その当時は、京都の宇治に住んでいたから、京都を描いた文学として記憶にあってもいいようなものだが、その記憶が私にはない。

この意味では、『細雪』の京都の花見の場面を憶えているのとは対照的である。まあ、『細雪』は、国語の教科書でも出てきて読んだということもあるのかもしれない。だが、その土地を、どのように文学的に描写するかということも関係してくるだろう。

漱石も京都を描いている。京都に足をはこんでもいる。だが、一般的に、近代文学のなかの京都というのは、あまり印象にのこっていない。個人的に強く印象にのこっているのは、『檸檬』(梶井基次郎)だろうか。これも、高校生ぐらいのときに、読んだ本である。ちなみに、そのころ、京都の丸善にはよく行った。むろん、『檸檬』に描かれた丸善とは違っているのだが。

やまもも書斎記 2017年2月1日
『細雪』谷崎潤一郎(その一)
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/01/8346499

やまもも書斎記 2016年12月12日
NHK「漱石悶々」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2016/12/12/8273984

今になって再読してみて、京都を舞台に描いている小説の一つだな、という感じはしても、その京都の街に文学的印象を持つような書き方にはなっていない。いや、文学的印象という観点では、始めの方に出てくる尾道の街の描写の方が印象深い。

再読してみて、やはり作品全体として印象的なのは、大山の登山のシーン。もっと延々と詳細な描写があったように記憶していたのだが、再読してみると、登山そのものの記述は、ごくあっさりとしたものである。

だが、そこで描かれている、自然描写、それから、人生観、人間観というべきものは、感動的といってもよい。

付箋を付けた箇所。

「それからの彼は殆ど夢中だった。断片的には思いのほか正気のこともあるが、あとは夢中で、もう苦痛というようなものはなく、只、精神的にも肉体的にも自分が浄化されたということを切りに感じているだけだった。」(p.558)

この長編は、決して読みやすいものではない。特に波瀾万丈の事件がおこるというようなものではない。なにがしか罪の意識とでもいうようなものを背負った主人公(時任謙作)の、心境小説とでもいうべき描写がながくつづく。だが、それを我慢して最後まで読んで、登山の場面になると、ああここまで読んできてよかったなあ、と感じる。最後の登山の場面において、主人公に同化して自分自身も浄化されるような印象が残った。

志賀直哉の作品、短編など、さらに読んでみようと思っている。

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