『おんな城主直虎』あれこれ「検地がやってきた」2017-02-21

2017-02-21 當山日出夫

『おんな城主直虎』2017年3月18日、第7回「検地がやってきた」
http://www.nhk.or.jp/naotora/story/story07

前回は、
やまもも書斎記 2017年2月14日
『おんな城主直虎』あれこれ「初恋の分れ道」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/14/8360887

今回も、ネコがでていた。和尚にだかれていた。

この回の見せ場は、鶴・亀・おとわ(次郎)の、それぞれの思いの交錯する対話のシーン。それから、最後の検地の場面だろう。

「指出」(さしだし)については、番組中で解説があった。ジャパンナレッジでこのことばを検索してみると、「指出検地」(さしだしけんち)の項目がある。国史大辞典。この解説通りに、「指出」だけでことが終わるなら、別に問題はない。そこを、無理をして、隠し里を隠し通そうとするから、まあ、ドラマになる、ということか。

それにしても、隠してあった田畑が、「南朝の……」のいいわけで、無事に納得してくれたのが、どうも解せない。このあたり、ちょっと無理があったように思う。ここは、鶴が頑張って隠し通したというストーリーの運びの方が自然であったように感じたが、どうであろうか。

おとわ(次郎)の観音経の読経も、そんなに効果があったとはおもえないし。

それから、不気味な存在なのが、やはり、徳川家康(まだ、その名前ではないが)。今後、どのように、井伊の家とかかわるのか、興味深い。『真田丸』とは、どのようにちがう徳川家康を描くことになるのだろうか。

鶴・亀、それから、おとわ(次郎)のエトスはなんだろうかと、考えてみたりもする。井伊のイエをまもることか。井伊谷の山里にたいする、パトリオティズムか。これまでのところ、井伊のイエへの忠誠心というものは、そんなに出てきていないように見ている。それよりも、鶴と亀の、おとわへの思いの方が強い。

さて次回も、ネコは出てくるだろうか。

追記 2017-02-28
この続きは、
やまもも書斎記 2017-02-28
『おんな城主直虎』あれこれ「赤ちゃんはまだか」
http://yamamomo.asablo.jp/blog/2017/02/28/8379090